ヴァイキングと言えば、必ずやその広範囲におよぶ活動が取りざたされるわけですが、いかに勇猛な彼らでも、思い立ったからと言って直ぐさま大海に乗り出せるものではありません。
殊に北欧の気象海象は厳しく、夏は短く冬は長いのです。
開闢以来ヴァイキングとして歴史に登場して来るまでの長いながい時間を、彼らはノルウェーの沿岸からバルト海におよぶ比較的狭い地域内にあって、同種民族間で交易をし、掠奪したりされたりを繰り返し、かつは多くの悲惨な海難を経験して船体の改良と大型化を試み、そして航海技術を磨き戦闘のノウハウを蓄積して来たであろうことは間違いありません。
彼らは、あの軽量にして強靭な船を持つことによってはじめて、ヴァイキングとしてこの世に姿を現すことが出来るようになったのです。
今回は船にまつわる話になります。
島嶼の住人は勿論ですが、フィヨルドの縁辺にへばりついて暮らす者たちが、指呼の間の対岸へ行く必要に迫られた時、陸路を行けば何十キロも、場所によっては何百キロもの距離を迂回しなければなりませんが、そう言った迂回路も、途中に滝や急流などの踏破不能の障害が待ち構えているかも知れないのです。
繰り返しになりますが、太古よりこの地は近隣とどのような接触を持つにせよ、舟がなければ生きて行けない土地でありました。
彼らが初めに持った舟はどの様なものであったかについて、専門家は丸木舟派と、海獣の皮を骨組みに被せたエスキモーのカヌー式の舟・ウミアク派に分かれて論争を続けて来ておりましたが、ノルウェーの沿岸から多くの丸木舟が出土するに及んで、ようやく決着がついた様です。
幸いにして、舟を造るに格好の樹木は豊富にありましたから、石器時代には丸木舟を使ったわけですが、丸木舟である限り、原材料となる木材の大きさ以上の舟は造れないのです。
幅を広げるためには縦割りにした船体の間に別の木材を挿み、長さを延ばす為には継ぎ足すと言ったやり方を、いずれ身につけはしたでしょうが、しかし、この工法では如何に工夫を重ねても鈍重で脆弱な舟しか造れず、軽やかに海を渡ると言う具合には参りません。
やがて鉄器時代に入ると、大和民族を含め他の多くの民族と同様に、彼らも切り倒した大木を根元の方から楔を順繰りに打ち込んでいって、好みの厚さに幹を縦に裂く技法を発見し発展させました。
材料の選択は立ち木の段階から慎重になされます。例えば森林の縁の立ち木は日に当たる側と陰になる側とでは木質に差があるため避けると言った具合です。伐採に際しては、枝や根の部分の曲がった部分は肋材や船首尾材とし使用しますので、大切にとって置きます。人工的に曲げたり切り出したりした肋材より、自然に曲がった部分を少し削るなど整形して使う方が余程に強度が高いのです。
外板の素材であるトネリコや樫の木は、断面がくさび形した板として細かく裂かれた後、手斧でその角を削られ、ほぼ平らな長い板に仕上げられます。
四世紀の中頃には、外板の上下を重ねて張るいわゆる鎧張 (clinker build )の手法が完成し、ヴァイキングたちのあの独特の形をした舟の原型が出来上りました。
竜骨を据え肋骨を立て、これに外板を張ると言うのは、別の世界の別の時代の建造法であります。スカンディナヴィア人たちは、まず外板を張り船形を整えてから、その曲面に合う肋材を、多くの場合、松材から選んで固定して仕上げました。この工法はペルシャ湾岸に発達した「ダウ」の建造法と同じでありまして、船体に縦方向の柔軟性を持たせるには良いのだと言います。
ノルウェーでは鉄釘は貴重品であったため、今日私たちが木工で使うことのあるダボの様なもの、つまり木釘の一種が多用されています。この様な工法でありますから、造船材は割れを防ぐ為に生木を使い、上下の板の接合部分には予め錐で穴を明けておき、亜麻仁油に浸しておいたダボを打ち込み、更にダボの先端に小さな楔を打ち込み固定します。亜麻仁油は乾燥すれば接着剤として効果があります。
フランク王国が隆盛を極め、サクソン・イングランドでは諸王が覇権争いに没頭している頃、スカンディナヴィア人たちは樫の大木から削り出した、継ぎ目の無い頑強な竜骨 (keel) を取り入れるという、かれらにとっては革命的なことを始めました。強靭な竜骨を具えることによって水圧や波の衝撃による外板の歪みは軽減され、かつ船底の突起構造は偏流を押さえて直進性を高めましたから航海性能は飛躍的に向上し、おまけにマストを固定する内竜骨 (keelson) の設置も可能になりました。因に、ちょうどこの頃、大和では大船を建造して遣唐使を派遣していたわけですが、波静かな瀬戸内海の様な所にしか通用しない船を、なんの反省もなしに造り続け、多大な人的文化的な損害を出していたことは、既にお話しした通りです。
五島列島から楊州までと、オスロ辺りからイングランド東岸までの距離は殆ど同じでありますが、その航海実績には雲泥の差があります。条件が良ければ、ヴァイキングたちはこの航程を、二昼夜もかからずに渡りきったと思えます。
その始まりは双方ともに丸木舟であったに違いないのですが、この時代になりますと、海へ乗り出す動機の違いが、船体の違いになって現れています。
ローマ時代までに地中海を往来していた堅牢にして豪華な大船に比べれば、ヴァイキングの船は軽舟でありまして、単純に両者を比較することはできません。
それにしても、現代科学によって計算し尽くされた高速船が持つ様な、あの優美なラインを持った船体が、文字も数字も筆記用具も持たない者たちによって造られたと言うことには、只ただ驚嘆するのみであります。