ヴァイキングたちはイングランド東部に定住し始めていて、何ほどかの軍糧は自給できる様になったのでありましょう。 871 年に彼らは更なる入植地を求めて、全勢力を二分し、それぞれに独立した王を立て掠奪行に発進しました。
一団は北に向かい農民や大土地支配者として腰を下ろし、他の一団は、グズルーンと言う者を王に立てて南下し、ウェセックスに侵入してエセルレッド/アルフレッドの軍勢と衝突したわけです。
王に選ばれても賢人会議や高位聖職者の意向は汲まねばならず、サクソンの王は中々専制的にはなり得ないのです。有力な部族長たちの支持を獲得するためには、取り敢えずはデーン人との戦いを凌ぎきり、臣下や領民の利益を守ることから始めなければなりません。
即位の初年度から悪戦苦闘の連続で、アルフレッドはよく戦ったのですが、僅かな手兵では敗色覆うべくもなく、ついに彼もフランクの諸王や他のサクソン王たちに倣って貢物を納め、グズルーンから当座の和平と態勢を建て直すための時間を買い取らざるを得ませんでした。
この時いくら払ったのか年代記は明らかにしておりませんが、取り敢えずはデーン人の退去は購ったわけです。しかし、ひとたび強請の味を覚えたデーン人は蠢動を続け、アルフレッドはゲリラ戦で対応しております。
ウェセックス王国は建国の経緯からして、他のサクソン王国と一味違うところがあったようですが、それに加えてアルフレッドの祖父エグバートの時代からは、家臣団を家柄や血筋によらず勲功によって貴族階級にあげるのが伝統になっておりまして、このことがアルフレッドを大いに助けたと思われます。
この時期まで、どのサクソン王国を見ても首尾一貫した国家防衛機構を持っている国はありません。アルフレッドによって漸く、事あるごとに臨時に兵を召集する FYRD の制度に抜本的な変革が加えられることになったのです。
主にローマ人の居住地跡から適地を選んで軍事拠点を設け、軍役義務者の半数を常駐させて常備軍とし、他の半数は家郷にあって農事に携わると同時に地域の保安に当たる遊撃隊に任じ、これらを定時期に交代させることにしました。
かつて、彼らアングロサクソン人もこの島に渡って来た頃は、海の匂いをぷんぷんさせていたのですが、今やすっかり農民や狩人や木こりになりきっていて、海事に携わる者はどれ程いたでしょうか。海防を建て直すために、アルフレッドは海に慣れたフリージア人を傭兵として採用し、船を造り船隊の編成を始めました。
デーン人たちは東部や南部の豊かな土地を選んで定住を始めておりますが、穀物の作柄は不安定で、不作のときは不足を補うために、大規模なヴァイキング行動を起こさざるを得ないのです。
878 年、時ならぬ真冬にグズルーンが率いる大軍がウェセックス領に奇襲を掛けてきました。
不意をつかれたアルフレッド麾下の貴族の多くは、海を渡り大陸に逃れ、アルフレッド自身も僅かな扈従とともに這々の体で、現在のサマセット州の州都トーントンを流れるパレット川の中州(アセルニー島)に身を潜めました。
サクソン人の抵抗は微弱でしたから、彼らは最早自分たちがウェセックスの主になったものと思い込み、気を緩めていたようです。そしてデーン人たちはアルフレッドの背後デヴォンシャーに、二十三隻の船団に総勢八百余を載せて侵寇して来て、ウェルシュと共同戦線を展開しました。絶体絶命のこの危機に、同地方に入植してアルフレッドの背後を守っていたサクソン人が撃ちかかって、大損害を与え撃退しました。
復活祭の後しばらくして、アルフレッドは隠れ家の沼沢地から姿を現しました。
アルフレッド王の健在を知った住民の喜びは大きく、サマセットシャー・ウィルトシャー・ハンプシャーの各地から彼らは武器を手にして、アルフレッドの旗の下に続々と集まってきました。
住民たちはアルフレッドこそ、自分たちを守ってくれる強い王であることを、直感していたのでありましょう、年代記を読んでいても今までには見られぬほどの意気込みが感じられます。
デーン人たちは敗退に次ぐ敗退の末、ウィルトシャーのエタンデューン(現在のエディントン)に築いてあった砦に追い込まれ、篭城の已むなきに至りました。
食糧の備蓄がなかったのでしょう、二週間に及ぶ篭城の末、飢餓に耐えかねたデーン人は人質を差し出し、多くの誓言をして降伏を申し出てきました。
アルフレッドは彼等がウェセックスから退去すること、および頭目のグズルーンと重立ったデーン人の部族長たちが、洗礼を受けてキリスト教に改宗することを条件に、助命の嘆願を受け入れました。
三週間の後、グズルーンと三十名ほどの部族長や重立った者に対して、アルフレッド自身が代父に立って洗礼が施され、グズルーンはエセルスタンの洗礼名を授けられて、ここに邪宗門のヴァイキングはキリスト教徒になりました。
当時の感覚での godfather と godchild の関係は、私には想像の外でありますが、この受洗の後グズルーンは二週間ほどもの間、アルフレッドと起居を共にしていたとありますので、大物同士、互いに影響し合ったことでありましょう。
こうしてグズルーンの集団は誓約を守り、彼ら独自の掟と慣習によって維持される居住地・デーンローに引揚げて行ったのです。
アルフレッドの威信は高まり、サクソン人の有力者たちで臣従を誓う者が引きも切らず、軍事改革や法制度の整備が順調に進みました。
アルフレッドとグズルーンの間で交わされた約束は概ね守られはましたが、この協定に拘束を受けない者の方が多いし、この後も掠奪を目論んで侵入して来るヴァイキングは後を絶ちません。そしてデーン人捕虜の中には アルフレッドの godson が何人か混じっていて、助命された話も年代記に載っています。
しかし、ウェセックスの防備は日を追って堅固になっていましたから、ヴァイキングは手痛い反撃を受けることになります。
彼らは、矛先を抵抗の少ないフランクの土地に向けます。