ウェセックスの王たちは、国土の回復のために効果がありそうだと見れば、デーン人の手法を素直に取り入れました。要衝の地に砦や防衛拠点を設けてバラ burh と称しました。これもデーン人に見習ったもので、軍事と支配の利便の為に設営されたのでありますが、次第に商取引の場所としての性格を持つ様になります。
各々のバラは規模も維持のされ方もバラバラで、小は防衛設備をもった王家の別荘地から、大は2~3,000人もの住民を持つ大都会まであり、またデーンロー内のバラかどうか、港としての機能を備えたバラかと言ったことで、各々が特色を備えていて統一的な様態は見られないのです。
こうしたバラの持つ財政上の利点をよくわきまえていた王家は、二十ペンス以上の商取引は全て、バラに駐在する王の代理人の立ち会いの下でのみなされるよう規制して、保護を与える代わりに賦課金を徴収し、違反者は処罰しました。
バラに持ち込まれる交易品の多くは、ヴァイキングたちが交渉の手練手管を尽くして得た純粋な交易品 (hard bargain) と言うよりも、強奪 (hard knock) によって得た財貨でありました。
こうして、ヴァイキング行動により獲得した財貨の処分の道が一つ開けたことになるのですが、より大事なことは、商取引の中核となる町がイングランドの各地に出来始めたことであります。
サクソン・イングランドを構成する普通の自由民はこの時期まで、外の世界とは殆ど交渉のない自給の村落で生きてきましたから、商業意識を持つ必要はなく商才などとは無縁でしたが、デーンローが成立しバラが発展すると、急速に商業に必要な才覚と知識を身に付けることになります。
この様なことも、サクソン・イングランドに及ぼしたヴァイキング効果の一つに揚げられます。
王を選出する機関であり諮問機関でもある賢人会議 witan は、古英語では字義通りに賢人たちによる会議 (witena gemote) を意味しておりましたが、教会が勢力を蓄え、かつ土地所有者の自立意識が深まり利害が複雑に絡んできますと、会議の構成員は賢人ばかりとは言えなくなります。
お負けに、アルフレッドの後の比較的平和な時代にあっても、ウェセックスの王で長生きした人はおらず、五十才を越えて生きた人はエドワード (the Elder) だけで、残りの王たちは皆若死にしております。従って時代が下るに連れ、後継者は必然的に未熟な年少者から選ばざるを得ぬことになります。
こうした事情の下、賢人ならぬ賢人たちにも苦労はあったでしょうが、それぞれが自己の利権に少しでも有利な新王を選出しようとしますから、内輪もめが頻発して弱体化の一途をたどり、デーンローのデーン人の眼には王朝の堕落と映ります。
970年代まで、イングランドにとっては比較的安穏な時代でありましたが、スカンディナヴィアでは再度の海外侵出のうねりが起こりつつありました。
ノルウェーではハーラル美髪王が、デンマークではゴルムに続いてハロルド・ブルートゥスが統一王国を建てましたが、独立不覊の精神に溢れた者たちは、王の統制に従うことを潔しとせず国外へ出ました。
ノルウェーを脱出した者たちは、アイスランドのみならず、オークニー、シェトランド、ヘブリディーズ、フェローの諸群島とスコットランドに移住しました。 デンマークを逃れ出た者たちは、イングランドに向かう奔流となりました。
彼らにはノルマンディ公の密かな庇護があって、植民や土地の獲得などは念頭になく、ただひたすら掠奪とサクソンが和平を求めて差し出す購い金の獲得が目的で、その襲撃は数十年と比較的短期間ではありますが激越を極めます。
実は968年頃から既に、彼らはスペインとポルトガルへの遠征を試みていたのですが、迎え撃つムーア人あるいはサラセン人と呼ばれる者たちも、剽悍なことではヴァイキングに勝るとも劣らず、お負けに彼らにはあのギリシャ人譲りの火炎放射器がありましたから、半裸体のヴァイキングは歯が立たず、損害を出して撃退されて、彼らの目標はイングランドに移ったのです。
ただ、デーンローは同胞の土地でありましたから多くは侵寇を免れ、劫略の対象はサクソンの領域とウェールズ、そしてアイルランドに集中することになります。 デーンローの住民の内には、サクソン側に立って戦う奇特な者もおりはしましたが、多くの者には堕落したサクソン王国が襲撃されても、援助の手を差し伸べる気は更にありません。
イングランドの王エセルレッドは、ヴァイキングに金銀財宝を差し出して、掠奪の停止と国外退去を買い取りますが、この貢税が更なる侵寇を呼び起こし、要求額は次第にエスカレートします。遂に高負担に耐えかねたサクソン人が暴走して、デーンローの住民の無差別虐殺を行いました。
この事件で娘夫婦を殺害されたデンマーク国王スヴェンは怒り狂い、大軍を催してイングランドに侵寇しました。
この辺りから侵寇の目的はは、イングランドの政治的征服に変質します。
国内の不統一を露呈したイングランドは効果的な反撃をすることができず、遂に全土を征服され、国王エセルレッドは王妃エマの実家ノルマンディに逃れました。
以上はこの後の事態の大まかな推移でありますが、次回からはこの時期のキーパーソンであるエセルレッド二世、デーン朝のカヌート、ウェセックス伯ハロルド二世、ノルウェーのハーラル苛烈王、そしてウィリアム征服王などの歴史的人物の登場を願っての話になると思います。