kitombo.com | 海賊の話 | 2004年7月5日 
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海賊の話
「カエサルとブリタニア その1」

裏小路 悠閑
7月5日

 政府の承認の下に編成された軍団の外に、私設軍団をも抱えてガリア遠征中のカエサルは、何時ものことながら金に困っておりました。
 直接の戦費としての金はもちろんですが、守旧派・共和主義の元老院に睨まれて政治的な立場が不安定な状態にあるカエサルは、本国の平民階級の好意をつなぎ止めておかねばならず、どうしても金が必要でありました。
 そこで頭に浮かんだのは、ブリタニアへの侵攻であります。
 うまくいけば、金銀財宝の外に多数の捕虜を確保して奴隷に売れるかもしれません。
 お負けに、ガリア総督職の解任を先に引き延ばし、ガリア総督重任の口実にはなるし、版図を広げて税源を増やせば、民衆の人気も上がろうというものです。

 地中海が世界の中心である当時のローマ人は、イギリス諸島のことは金銀と真珠を産する豊かな島である、といった噂は聞いていたかも知れませんが、実際のところはほとんど何も知らなかった、と言ってもよいでしょう。
 陽光降り注ぐ地中海の住人にとって、霧に覆われることの多いブリタニアの地は、これまでずっと世界の果ての地獄のすぐ隣りにある、謎に満ちた土地でありました。

 昔むかし長い時間をかけてケルトたちが三々五々、時には大挙して渡って来て、原住民であるイベリア人を追い出したり融合したりして住み着きました。
 「マッシリア」今のマルセーユに植民都市を築いたギリシャ人商人たちは、カルタゴの圧迫に対抗するために、ブリタニアとの商取引の可能性を探ろうとして、前325年にピュテアスという数学と天文学に通じた航海者に、この島の探検を委嘱しております。
 ピュテアスはガロンヌ川、ジロンド川を下ってビスケー湾に出て、地中海には見られない強烈な潮流に遭遇して度肝を抜かれるなどしながらブリタニアに着き、そこに彼は思いもかけぬほど開化した社会を見いだしております。
 住民は小麦を栽培し、養蜂の技術を持ち家畜を飼い、醗酵させた穀物と蜂蜜を混ぜたものを飲み、大陸のケルトと錫の交易を行っている、と報告しております。
 ケルトは、この地を「刺青をした者たちの国」を意味するブリトンとかプリトンと言っており、ピュテアスがこれを採ってプレタニクと命名したのが保存されて、後の世にブリタニアやブリタニア人を意味するブリトンが定着したと言う説もあります。
 この人の後、二百年ののちにポセイドニウスという旅行家が、ブリタニアの錫の発掘状況を観察しております。また錫のインゴットが驢馬や馬に積まれて港に着き、船に移されてモン・サン・ミシェルらしきところに運ばれる様子を書き残しております。
 日本の歴史に比定するなら、弥生時代に相当する発達段階かと思われる時代に、この錫の取引の支払いは、マケドニアのフィリップ王の金貨に倣って、ガリアのケルトが打刻した金貨でなされたと言いますから、驚きます。

 前一世紀半ばのこの当時、ケルトに関する知識と情報の蓄積量において、カエサルの右に出る者はないでしょう。ケルトはアルプスの北、中欧から東欧に発し広い地域に拡散していった民族の総称で、単一の種族ではありませんし、均一の文化を持っていたわけではありません。
 カエサルによれば、ケルトの部族は血族的氏族であり、部族内の結束はこの上ない強固さを見せるが、正にそのことが広い範囲に及ぶ社会を構成したり、発展させたりすることの障害になっているといいます。
 彼らケルトは、カエサルの征服後にラテン化するまでは、仲間同士の闘争に明け暮れ、本来備わっていた英知による多彩な文化も武勇も浪費してしまって、政治的遺産と言えるものを残すことが出来ませんでした。
 カエサルの侵攻当時のブリタニアも例外ではなく、そこには多数の部族が分立していて、全体を覆う独自性のある単一の文化も、政治的な意味も存在しなかったのです。
 つまりその土地は単なる地理上の存在にすぎず、住民は部族ごとに孤立した小国あるいは小社会を作っていて、互いの交流は抗争以外にはないに等しく、若しあったとすれば、それはむしろ海を越えてのアイルランドやガリアとの交流であったのであります。
 カエサルは、これまでのガリアでの戦役全体を通して、ブリタニアのケルトたち、即ちブリトンがガリアの諸部族を援助していると言い、その同盟関係を破壊する為にブリタニアへの侵攻が必要なのだと強弁しております。

 前55年の夏も終わりの頃、カエサルは今の名はブーローニュ、当時はモリニー族の土地でその名をイティウスと言う場所に立って、ドーヴァーの白い崖を見ておりました。
 ナポレオンも、ひょっとしたらヒトラーも同じ場所に立ったかもしれませんが、考えることはかなり違ったものでした。
 不遜にもカエサルは、ドーヴァー海峡の往復には何の不安もないだろう、と思ったのです。彼の悩みは、一時的にではあるとは言え、戦費を調達するために征途半ばで軍事的に不安定なガリアを離れてまで、果たして遠征する価値があるかどうかです。
 カエサルの念頭には、貴重な軍団の一部を割くことまでして、彼の地を恒久的にローマの統治機構に組み込むなどと言うことは、初めからなかったのです。

 カエサルは軍事行動を起こすに先立ち、ブリタニアの地勢やブリトンの部族の数や人数と、彼らの習慣や戦争の仕方などあらゆる種類の情報を得ようとして、その辺一帯の住人や商人たちを呼び集めてあれこれ問い質しましたが、かの地に行ったことのある商人たちにしても、海岸と近辺の地方のこと以外は何も知らないと言います。
 この時のモリニー族は、表面上ローマに心服した様に見せかけているだけで、再度の蜂起の機会を窺っておりましたから、ブリトンと同盟関係に有る無しは関係なく、カエサルに有利に働く情報をそう易々と渡す筈はないのです。

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