その昔サクソン七王国の時代、戦争と言えば諸王国間の争いや、ピクト族ウェルシュ族との戦争であり、自由民たちは武器と糧食を自弁し戦力の主体となって戦場に出ていたがために、支配者の圧政をかなりの程度撥ね除けることが出来ました。ヴァイキング時代に入ると戦闘の形態が変わり、装備も簡単なものでは済まなくなり、多くの者たちは負担に耐えられなくなってきました。アルフレッドの頃から兵農の分離が次第に進み、各々が専門化した結果、自由民たちは次第に自由を失って行きます。
そして追い打ちをかける様にエセルレッドの治世下にあっては、頻々と徴収されるデーンゲルドが自由民の経済基盤を破壊してしまいます。
”王はイングランド国内にいるデーン人を全て殺せと命令し、十一月十三日聖ブライスの祝日に実行された。デーン人たちが、王と賢人会議を構成する重臣全員を呪殺し、後はゆるゆると全土を手に入れようとしている、と王の耳に入ったからである ”
「年代記」の1002年のデーン人大虐殺に関する記録は、これだけです。
とにかく、十一月十三日を期し、全土で一斉にデーン人に襲いかかり殺せ、と言う指令が秘密裏に伝えられ、老若男女の別なく大規模な虐殺が実行されました。
エセルレッドをこの暴挙に駆り立てたのは、何であったのでしょうか。
1004年に発布された誰かへの特許状で、「デーン人はこの国に根付いて国民の間に毒草の様に蔓延り、害をなし・・・・」と賢人会議のメンバーと連名で、虐殺が全く正当なものであったと主張しております。
しかし何故この時期にやったかについての説明は得られません。
サクソン人は戦術の拙さや統制のなさ故に、すっかりデーン人に侮られていたことは確かです。
エセルレッドの側近で軍司令官とでも言うべき地位にフーナと言う男がおりまして、彼が王に向かって「ヴァイキングたちは和平協定が結ばれ、購い金を受け取った後も不法滞留を続けて、定着したデーン人たちと連携して悪事の限りをつくしているのです。」と悲痛な面持ちで言いました。
恐らく、このフーナの言葉が動機になっていると見てよいでしょう。
ただ、この残虐行為が行われたのは、デーン人の支配地域でもデーン人の人口比が小さな所で行われ、デーン人の人口が圧倒的に大きな東部デーンローは勿論、激しい反撃を受けそうな所への襲撃は回避されております。
被害者の中に、デンマーク王スヴェンの妹夫婦がいて、惨殺されました。
この事件は、その年の内にスヴェンに報告され、翌1003 年早々に、新しい体制による軍隊が重大な決意を持ってやって来て、イングランドは凄まじい報復を受けることになりました。
1005 年イングランド全域が飢饉に襲われたため、スヴェンは一旦は本国に引揚げますが、翌1006年には又大艦隊を率いてやってきました。
この間、エセルレッド自身が関わる軍事行動は記録されておらず、彼のやった事としては、何処かの教会への寄進であるとか、貴族への土地の下付くらいのもので、そこには戦時下の統治者としての姿はありません。
ヴァイキングはイギリス海峡にあるワイト島に拠点を置き、真冬になってから更に攻勢を強めてウェセックスを荒し回りました。
今回も貢納金を支払って和平を買い取る事に決しまして、民衆を絞り上げて大枚「三万六千ポンド」をかき集めて差し出しました。
ヴァイキングたちは満足して引揚げ、約二年の平和が訪れました。
高価な犠牲を払って獲得した平穏な時間を、エセルレッドは1008 年を最大限活用した様に見えます。
賢人会議を招集して聖俗に亘る様々な決議をし、実行に移しました。
当面差し迫って必要な愛国的な団結を国民に強く求め、艦隊を整備して毎年復活祭の頃には戦列につける様に下命し、またイネ (688~726) の時代の法律を復活させて、戦線からの逃亡や土地からの逃散への処罰を再制定しております。
今回は所有財産の規模に応じて、船を建造して供出させ、あるいは武具を供出させるなど現物を出させ、現金の徴収は行いませんでした。
軍船の整備は順調に進み、1009 年の復活祭の頃には大船団となってケント州の東端サンドウィッチに集結し、エセルレッド自身も乗船し戦意は高揚しました。
サセックスの騎士身分のウルノスと言う者が、船団の中から二十隻を誘い出して脱走し、沿岸の各地を襲って掠奪を始めました。エセルレッドは信頼を置くブリトリックに八十隻を与えてウルノスを追跡させました。ブリトリックはウルノスを生け捕りにするか殺すかして手柄を立てようと、勇躍して発航しましたが、大時化に遭遇してあるものは沈み、多くは海岸に打ち上げられてしまいました。
そこにウルノスの一統がやって来て、船を焼いて全滅させてしまったのです。
やがて事件の顛末が報告されると船団の士気は一気に砕け散り、最早これまでと思ったか、エセルレッドは扈従の者を引き連れて引揚げてしまいました。
王に見捨てられた船団は、ロンドンに回航しましたが、盛り上がっていた国民の救国の意思も、欠乏の中での苦労も無駄になってしまったのです。
これらの事態の推移を見計らっていたかの様に、新手のヴァイキングが襲ってきました。