「のっぽのトルキル」と呼ばれる頭に率いられるヴァイキングがやって来ると、二つの別の集団がこれに合流しました。この新手の集団はスウェーデンのヴァイキングであったようで、トルキルとの連携は必ずしもしっくり行っておりません。
彼らはケント州を荒らし、カンタベリーに向かいました。
カンタベリーは直ぐさま「三千ポンド」支払って、掠奪を免れました。
彼らは一旦ワイト島に集結し、矛先を南部諸州に向けます。
エセルレッドは全国に召集令を発し、人々は「今度こそは」とまなじりを決して応召し大軍勢となりました。エセルレッドは陣頭に立って進発して、ヴァイキングの動きを封ずる所まで行ったのですが、側近の建言を入れて又もや決戦を避けてしまいました。
こうした記録に出会うと、エセルレッドはやはり無能であったのか、と思ってしまいます。しかし当時の賢人たちの戦意は低く、この様な事態に至ったのは、王が早々に貢納金を支払わなかったからだ、とまで言う始末です。
エセルレッドは自分の意志を押し通すことが出来なかった様です。
サクソン・イングランドでは、もはや反攻する気概が全く失われてしまいましたから、1011 年の初めまでに16州がヴァイキングの思うがままに荒らされ、このままでは何処まで被害が拡大するか、見当もつかぬ状態となりました。
エセルレッドと賢人会議は、今回もまた貢ぎ物をして冦掠を止めてもらう事に衆議一決して直ぐさま休戦協定を結び、交渉に入りました。
ヴァイキングたちは「四万八千ポンド」を要求しており、イングランド側にはこれ程の大金を即座に用意する体力は残っておりませんから、長い時間が必要でした。
トルキルの集団はこの休戦期間中にカンタベリーを襲い、思うがままに掠奪した上で大司教エルフヒアを捕らえて人質にし、そしてウェールズに上陸侵攻してマーシアにまで足を伸ばしております。
1012年の復活祭の期間中に、四万八千ポンドが支払われました。
大司教エルフヒアの身柄引き渡しを要求した所、トルキルは承諾したのですが、他の集団に属する者たちは、更に身代金「三千ポンド」を出せと言います。
この頃のサクソン人たちにとっては、払いたくとも払える金額ではなかったのでしょう、支払い拒否をしますと、ヴァイキングたちは逆上しました。
トルキルは自分の分け前を全部身代金として差し出す故、大司教を解放する様にと仲間たちを必死に説得したのですが、彼らは聞かず、乱酔の騒ぎの内に大司教を惨殺してしまいました。
どういう思いがトルキルの胸の内に起こったのか、とにかく彼は他の集団と手を切り、配下の四十五隻を率いてエセルレッドに仕える事を申し出ております。
トルキルの臣従の誓言を受けた後、エセルレッドはエースト・アングリアに土地を与え、食糧と需品を給付しました。
デンマーク側の記録では、1009年までにイギリスからは五度に亘って和平の購い金をせしめた事になっており、その総額は十三万四千ポンドと推測されておりますが、人的なものを含めイギリス側が蒙った累積損害は、どれ程になるか想像もつきません。
社会基盤である土地の生産能力から見れば、全く不釣り合いな額のデーンゲルドが搾り取られていて、社会的、経済的、政治的に重大な影響を残しました。
ヴァイキングはデーンゲルドを持ち帰って、故国の生活を豊かにしましたが、それを差し出した側にあっては、多くの自由民は没落して農奴身分となり、破滅的な結果に見舞われました。
彼らはサクソン・イングランドで掠奪した財物を、デーンローで必需品と交換してイングランドのデーン人社会を潤し、そして本国は勿論、フランスをはじめ大陸の各地に持ち込んで売り捌いたでしょうから、その様な所では交易者として大きな顔が出来たに違いないのです。がしかし、ことサクソン・イングランドに関する限り、ヴァイキングたちが交易者であったと言われても、素直に「あぁそうですか」とは言えない様な気がしてきました。
一息つく暇もなく、1013年夏、スヴェンはイングランドの支配を目指し、総力を挙げてやってきまして、サンドウィッチに上陸しロンドンに向かいました。
ロンドン市民はロンドン橋を落とし、果敢に闘いスヴェンに甚大な損害を与えて追い払いました。
童謡に歌われる「ロンドン橋が落ちた」のは、この時のことです。
戦略を変えたスヴェンは、ハンバー川の北側の古くからのデーンローに転戦しました。ここでは行く先々で歓呼する住民たちに王として迎えられました。
北部一帯がスヴェンになびいてしまうと、互いに助け合うことをしないバラやシャイアは全て右に習えで、この年の内に、ロンドン以外の全土がスヴェンの支配に服することになってしまいました。
この間、エセルレッドはロンドンに元ヴァイキングのトルキルと共におりましたから、ロンドン市民の戦意は高く、スヴェンに一泡も二泡も吹かせておりますが、全土がスヴェンを王として認めるに至って、壊滅させられることを怖れた市民たちの気持ちに変化が起こります。
エセルレッドは后のエマをノルマンディーに避難させ、次いで彼女との間に出来た二人の王子を彼女に合流させた後、自身は1013 年のクリスマスの頃にワイト島に、年明け早々に財宝を持ってノルマンディーに渡りました。
窒息状態のロンドンは、遂にヴァイキングの手に落ちました。