盟友レーガン元大統領の国葬に会葬されたサッチャーさんの「雄々しい」お姿を久しぶりに拝見いたしました。もうご高齢で健康に不安があって、頌徳の辞は予め録音しておいてなされたそうです。
かつて日本の野党のうちで最大勢力を占めていて、今はその名さえも残らぬ政党の党首であったお人が、取り巻きの追従屋たちから「和製サッチャー」などと言われて、ホタホタと嬉しそうになさっていたのを思い出します。
あの様な追従を言う方も、言われる方も、サッチャーさんがどれほどの事をしたのか、知らずにいたのではないかと疑うのです。
サッチャーさんが、本国から一万数千キロも離れた南極圏に近い、総面積にして新潟県ほどで二千人足らずの住民しかいないフォークランド諸島と、更にそこから三千キロも東に離れた数個のとるに足らぬ島々の領有権を巡って、アルゼンチンと短くはあっても激しい戦争をしたことを知っての上だったのでしょうか。
また、長年に亘って学童に無料で支給されていたミルクの公費補助を打ち切り、「ミルク泥棒」と囃され罵られていたことは知っての上だったのでしょうか。
ヒットラーのイギリス本土への侵攻を阻止するために、1940年、チャーチルは戦後に福祉国家を建設するという約束をして、挙国一致内閣に労働党を連立与党として参加させました。戦後「揺り籠から墓場まで」と日本でももて囃された手厚い福祉政策が始まったのですが、主要産業への政治の介入や国有化が進められた結果活力が失われ、1970年代のイギリスといえば、ほとんど「社会主義」の暗黒の淵に落ちかけておりました。
74年には内閣と労組が「社会契約」と称して、政府と労組の間で物価賃金に関する協定を結んだために、労組のごり押しがまかり通る様になりました。
79年には病院・学校・官庁、ゴミ収集や埋葬の公務員に至るまで波状的にストライキをうち、往年の基軸通貨英ポンドは遂に破滅的な一ドル台まで切り下げられる事態に立ち至り、これにオイルショックが襲いかかってきました。
当時の有権者たちは、福祉が依って立つ基盤がどれほど絶望的な状態に陥っているのかなどには無頓着で、福祉による生活水準の向上を求め続けるのが習い性となっておりました。
首相に就任したサッチャーさんは、放漫が究極まで行き着いたとも言える福祉に大鉈を振るい、国営企業の民営化を断行しました。84年から85年にかけての一年にも亘った炭坑労組の大ストライキには、妥協せず真っ向から立ち向かいましたから、労組は何も得る所なく敗退し、労組勢力の凋落の始まりとなりました。
何時のことであったか正確には思い出せないのですが、本船の運航を委託している会社の責任者が遊びに来てくれた時にサッチャーさんの話になり、「鉄の女」と呼ばれるイギリス初の女性首相はどんな人ですかと尋ねたのだと思います。
彼はニヤッと笑って「この内閣で、男はマギー・サッチャーだけさ」。
恐らく彼らの間で大いに流行ったジョークであったのでしょう。
アルゼンチンのガルティリ大統領は、長年イギリスとの間で懸案となっていた「マルヴィナス諸島(フォークランド諸島)」の領有権問題を一挙に解決して、破綻した政治経済から国民の目をそらし、同時に支持を取り付けることにしました。 ガルティエリはフォークランド島を奇襲して、完全に軍事制圧をしましたから、その時の国民の盛り上がりようは大変なものでありましたが、彼はサッチャー夫人が男であり、しかも鉄で出来ていることを見過ごしにすると言う、大変な過ちを犯してしまったのです。
72日間の激戦の末、敗れたガルティエリ軍事政権は崩壊し、断固戦う姿勢を堅持したサッチャーさんは、まれに見る長期政権の足場を固めました。
対艦巡航ミサイル「エグゾセ」をアルゼンチンに供与したフランスの兵器会社は、実戦での効果を確認することができました。
今や大英帝国の面影は全くありませんが、彼らイギリス人が作り上げて来た言語や法制度、政治体制や金融保険に関する技術制度等々は依然として世界の大きな部分を支配しているのです。ともすると日本人は同じ島国であるから、何か言わず語らずの内に通じ合うものあるのではないか、などと夢想し勝ちですが、文明の質が全く違うと思っていた方が良いのではないでしょうか。
この頑強にして怜悧な、そして時には冷酷無惨な事もできたイギリス人は、その島が大陸と絶妙な位置関係にあることによって生まれたと言ってもよいでしょう。
原住民であるイベリア人にケルトが加わり、ローマ人に次いでアングロ・サクソンやフリージアンやユトランド人が渡って来て定着し、これにスカンディナヴィア人たちがヴァイキングとしてやって来て混じり合い、フランスからノルマンが征服者としてやって来て先住者に呑み込まれました。
侵入者それぞれが独自の文化を持ち込み融合して、大陸のラテン文化とは異質の文化を作り出しております。
中世末期から近世にかけてヨーロッパ大陸の諸国では、その存続の為に必要な軍備の大きさが、その国の政策を決定する一大要素になっておりました。
イギリスの場合は狭い海峡の守りを固めれば、後顧の憂いなく政体や制度をはじめ信教のありかたまで、様々な改革や試みをする事が出来たのです。
それぞれの侵入者のヴァイキング的な行動を見て行けば、イギリスの特殊なところがほの見えて来るのではないかと考えております。