英雄ウェルキンゲトリクスによるガリア・ケルトの総蜂起を粉砕し、戦後処理を終えたカエサルのガリア征服は徹底したものとなって完成しました。それに比べれば、二度のブリタニアへの侵攻はローマ国内へ向けての政治の一部に過ぎず、直接の結果として、ローマとブリタニアの双方に政治的文化的で永続的なものは、何も残らなかったと言ってよいでしょう。
この後の百年の間、ブリタニアはローマと直接関わり合うことなく過ごしておりますが、外の世界には様々なことが起こっております。
カエサルが暗殺され、そしてその復讐が果たされ、アントニウスとクレオパトラの二人の関係はローマ世界に西と東の問題を提起し、オクタウィアヌスはうまく立ち回って帝政を軌道に乗せて後継者に渡し、イェスが異端の宗教を広めた罪で十字架にかけられてキリスト教が成立し、パウロが劇的な回心をしております。
この百年の間に属州ガリアは、ローマ人が建設した都市とそれらを繋ぐ道路網のおかげで原住民の定着が急速に進んで豊かになり、その北辺の地までローマの資金が流れ込み、商人たちがやって来てその地を足場にして更にブリタニアに渡り、内陸の部族にまで渡りを付け、居留する者まで出てきました。
そもそも、北部ガリアとブリタニア東南部地方は、ベルガエ族(ベルギー族)と呼ばれる同一種族が海峡をまたいで住んでおりまして、一時はブリタニア側の部族がガリアの王の宗主権を認めることもあった程に両者の交流は濃密で、カエサルがブリタニア侵攻の口実に使ったのはご承知の通りです。
多事多端で多忙なローマ人は、百年ほどもの間ブリタニアのことは打ち捨てにして来ましたが、カエサルのガリアで成し遂げた事業の効果が、図らずもブリタニアにも及んでいたと言うことになります。
ブリタニアと交易する商人たちは利益を守る為に軍団の派遣を願い、資産家や軍人たちは新しい奴隷の供給源を求め、あるいは出世の為の官職や土地の獲得を夢見ていて、やる気のある皇帝が現れてブリタニアの併合に乗り出すのを、今や遅しと待ち構えていたのです。
41年、近衛軍団はカリグラ帝を暗殺してクラウディウスを担ぎ出しました。
五十歳になるこの日まで、日陰者として学問と著作にのみ生きて来たクラウディウスはその血筋の故に推戴されたのですが、国家の根幹である軍団に皇帝として認知される為には、軍事行動を起こして成功する必要があり、ブリタニアの征服が最も適当であることに気づきました。
うまい具合にブリタニアでは、ある大部族に族長が死んで継承を巡る紛争が起こり、ローマの介入を要請して来た者がおりましたから、渡りに船であります。
43年、先進文明を持つ者の当然の権利として統治し、そして搾取する為に四軍団を送り込んで本気でブリタニアの征服に着手しました。
半ばラテン化したブリタニア南部と東部にあっては、各部族にそれぞれの思惑があって連携や統制を欠いていて、抵抗はあったにしても歴戦のローマ軍の敵ではありませんでした。侵攻が始まってから僅か三ヶ月後にはクラウディウス自身が渡島して、ロンドンから北東に80kmのクロチェスターに入り、神殿を建てて自分の銅像を祀り総督府を置くなどして、島には都合十六日間滞在した後に、ローマに帰って凱旋式を挙行して所期の目的を果たしました。
戦略上の必要やイデオロギーに突き動かされて侵攻したわけではありませんが、ひとたび獲得したこの将来性豊かな領土を死守する意気込みは十分にありました。 この様にして、このあと四百年に及ぶローマ皇帝直轄領としてのブリタニア統治が始まったのです。
当時のブリテン島の人口は色々推測されておりますが、大方の意見を集約すると三百万人位であったのではないかと考えられます。
侵入者であるローマ側の人数はと言えば、軍団兵と行政官、それから一旗組の商人やら胡散臭い連中まで入れて、多めに見積もっても総人口に対して数パーセントにもならなかったでしょう。文明の程度が隔絶した特別な情況下にあっては、文明のインパクトがどれほど強烈な力を持ったかと言うことを、私たちは後の世の事件でも知ることになります。
ローマ人はブリタニアを統治するに当たり、ブリトンの伝統的な社会制度を可能な限り残すことにより、少数による多数の支配を少ない負担でやろうとしている様に見えます。
ローマ人はケルト部族の支配層を抱き込み、彼らがローマのやり方を受け入れるなら、伝統の権力の保持を認めるというものでありました。つまり地位や権力の承認と引き換えに、ローマの為に税の徴収を行い、部族民のラテン化に力を尽くす義務を負うという、支配の重層関係の構築です。
ブリタニアが属領となると、市場経済が導入された崩壊直後の共産主義諸国家さながらに、ローマの海千山千の悪辣な投機屋がドッと入り込んで来て、無知で無防備なケルトを散々食い物にしました。
皇帝ネロの家庭教師から補佐官となった、かのセネカとその弟を筆頭に、資産家たちがローマ市中で資金をかき集め、通貨の流通量が十分でない為、属州税やいろんな形で徴収される賦課金の納付が困難なブリトンの支配者層に、破滅的な利率で貸し付けて暴利をむさぼり、返済不能となれば財産を押さえるなど、蓄財に余念がありませんでした。