kitombo.com | 海賊の話 | 2005年8月22日 
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海賊の話
「ヴァイキング その24 スヴェン叉髭王」

裏小路 悠閑
8月22日

 1013 年の暮れにエセルレッドがノルマンディーに逃亡すると、スヴェン又髭王はその年のクリスマスに、殆ど自動的にサクソン人からも英国王として認められることになりました。
 ドイツ皇帝の名に因む「オットー」をクリスチャンネームに持ちながら、スヴェンはヴァイキングの王に相応しく、異教徒として生き、異教徒として生涯を終えております。

 二十年程の昔、ホーコン伯と言う現地の豪族を支配下におくことによって、事実上ノルウェーの王でもあったスヴェンは、後にノルウェー王となるオラフ ( Olaf Trygvasson) と連合してイングランドで暴れ回り、多額の償金を山分けしたことは既にお話ししましたが、この時既にその生き方の違いから、オラフとスヴェンの間には反目が生じております。
 エセルレッドの外交手腕によって完全に取り込まれたオラフは、カトリック教徒として堅信礼をすませた後、イングランドの支援を受けて、当時ノルウェーで悪評の高かったスヴェンの傀儡であるホーコン伯を排除し、故国の民を教化しようと熱意に燃えて帰国し、国土の回復を目指しました。
 エセルレッドの目算は図に当たり、スヴェンは背後を固める為にイングランド侵寇の手を緩めなければならず、イングランドは一息つくことが出来たわけです。
 オラフに随行して、かなりの数の聖職者がイングランドからノルウェーに渡っておりますが、しかし、スカンディナヴィア人の社会を太古から支えて来て、そして現に支えている多神教の払拭は容易なことではなく、宣教者とオラフ一世がとった領民の教化の手法は、凄まじいばかりに暴力的なものとなりました。
 こうした暴力による改宗事業は、オラフの後に続く王たちにも踏襲されます。
 この辺境の地にキリスト教が広まり、教会が社会正義の権化となると、こうした悪魔的な教化手法をとった王の多数が聖人に挙げられます。

 ともあれ、一介のヴァイキングの頭領に過ぎぬオラフは、ホーコン伯を討ちオラフ一世を名乗ってノルウェーの王になりましたが、ホーコン一族の生き残りがスウェーデンに逃れ出て、元の宗主権者であるスヴェンのみならずスウェーデン王をも抱き込んで、虎視眈々と復讐の機会を窺っておりました。
 1000年、三者は協同して大船隊を編成して、オラフを待ち伏せしております。
 何の警戒心も持たずにやって来たオラフの三隻からなる船隊は忽ち包囲され、力戦の末に壊滅しました。
 最期の時を迎えたオラフは、拾い上げられ侮辱を加えられるのを防ぐため、大楯を頭に乗せて海に沈みました。
 と言うことがあって、宗主権を回復したデンマーク王スヴェンは、ノルウェーの王でもあったのです。

 イングランド全土がスヴェンの武威にひれ伏す様な状況下で、サクソン人たちは自分たちの将来をどの様に展望していたのでしょうか。それは恐らく希望に満ちた明るいものではなかったと思います。
 サクソンにとって幸か不幸か、1014年二月二日、スヴェンはリンカンシアのゲインズバラと言う所で急死しました。
 享年・五十四歳、暗殺を示唆する記録がないわけではありませんが、死因は不明です。

 僅か五週間の英国王でした。

 空位になった英国王に、デーン人たちはクヌートを即けようとしましたが、賢人会議だけではなく一般の聖職者も俗人も、挙げて伝統の王家の血筋を復活させたいと願っておりました。多くの者に、エセルレッドを裏切って異教徒スヴェンに降ったことへの後ろめたさがあったのではないでしょうか。
 と言うことで、大陸に亡命中のエセルレッドに王位復帰の意思を打診します。

 賢人会議とエセルレッドは、互いに過去の行為を水に流すことを確認して、賢人会議側は忠誠を誓い、エセルレッドは過去の独善的な統治を悔い改め、賢人会議を尊重し王に相応しい行動を約束して合意に達しました。エセルレッドはスヴェンの没した二月に、殆ど間髪を容れずエマを伴って帰国し、熱烈な歓迎を受けて王位復帰を果たしております。
 エセルレッドの帰国に際しては、「のっぽのトルキル」の一派であるオラフ(後にオラフ二世としてノルウェー王になる)が帰還事業を請け負いました。
 エマとの間に出来た二人の子、エドワードとアルフレッドはルアンに残して来ており、エセルレッドの手元には、イングランドの豪族出身の妃との間に出来た、エドマンドがおりました。

 賢人会議は、イングランドで領主気取りをしている総てのデーン人の討滅を決議しました。エセルレッドは熱気が冷めぬうちに大軍を召集し、先ずは、スヴェンが斃れた土地・ゲインズバラに滞留していたクヌートを頭目とするデンマーク勢を討つべく、早々に進発しました。
 戦闘準備の整っていなかったクヌート軍は海上に逃れ、デンマークに一時帰国するのですが、途上サンドウィッチに立ち寄って、故王スヴェンにイングランド全土から差し出されていた人質を集め、行きがけの駄賃とばかりに、手と耳を切り落とし、鼻を削いだ上で解放しております。

 正当な血筋の王を再び戴き、しかもデーンの主力を排除したことで、賢人会議も民衆も満足しておりましたが、エセルレッドが「のっぽのトルキル」に、報奨金として二万一千ポンド支払わせたことで、王への信頼は急降下します。
 状況の変化を感じ取った者たちの内で、目端の利く者は謀反の準備をしたり、罠を仕掛けたりし始めます。
 年代記の記述から推測するに、エセルレッドは、後に剛勇王と呼ばれ人気の高かった王太子のエドマンドと、折り合いが良くなかったのではないか、と思われる節がありますし、エドマンドが武勇に優れ、サクソン、特にロンドンの人士に人気があったことが、逆に民衆の苦しみを無用に長引かせた様にも思われます。

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