ローマ時代のブリタニアは、ローマにとって政治的にも経済的にも重要度が低く、時代に取り残された地域と見られ勝ちです。
実際にはどうであったのでしょう。
ブリタニアは政官界で名を挙げようと野心を抱く者たちにとっては、己の能力を軍団と本国にアピールするに打ってつけの場所でありました。そして運良く成功した者失敗した者を合わせ、何人もの帝位を窺う者がこの島を支持基盤としていることを見れば、かなりの余剰を産み出すことができたに違いないのです。
現にユリアヌス帝はブリタニアを大陸への補給基地としております。
一言で言えば、ブリタニアはローマ市民のキャリア培養の地でありました。
ローマ帝国は皇帝への口先だけの尊崇と、軍団の維持で支えられておりました。
神である皇帝の祭祀を拒否せず、割り当てられた税を納めさえすれば、属州民が社会不安を起こさぬ限り、どの様な生き方をしようと関知せぬというのがローマの基本的な統治の建前で、統治する者とされる者の双方の面子が損なわれずに済む、と言うものでありました。
しかし何時の世でも権力者に取り入ることで、うまく世渡りしようとする者が絶えることはありませんし、権力を持った者が、出世欲や物欲に取り付かれるとロクなことになりません。
60年、島の東部現在のサフォークとノーフォークとケンブリッジシャーの広い地域に勢力を持っていたイケニ族が反乱を起こしました。
このイケニと呼ばれた部族は、古くからアイルランドに発しガリアに向かう黄金の道の拠点を押さえ、ガリアとの交易によって富み栄え、前65年頃には既に彼ら独自の貨幣を発行するほどになっておりました。
ラテン化したガリアの影響を受けて、開明的で親ローマ的でありましたから、ローマの統治自体に反対しての反乱ではなく、むしろローマ文明への思い入れが強すぎたが為に、裏切られた時の怒りが爆発したものでありました。
この反乱に先立って、ローマではクラウディウス帝が、説明のつかぬ形で頓死して、ネロが皇帝になっております。
イケニ族反乱の当時のブリタニア総督は、スウェトニウスという軍人でありましたが、この人は、後にアルメニア問題を解決することになる知勇兼ね備えた将軍コルブロをライヴァル視していて、ブリタニアを平定して名を挙げコルブロに後れを取るまいと、逸りに逸ってブリタニアの各地を転戦し、それなりの戦績を残したお人です。
総督は、一見平和な東南部の情況を己の都合に合わせて判断し、ブリタニア配備の軍団の殆どを投入して、反ローマ勢力の主力と目されていた、ドルイド教の司祭や信徒らが立てこもるモナ島(アングルジー島)を攻めておりました。
コルチェスターの総督府は財務官のデキアヌス・カトゥスが第九軍団の残余の者をもって留守を守っておりました。
イケニ族の族長プラスタグス(ブリタニアでも部族の統合がかなり進んで、国家らしき体裁を整えておりますので、王と言った方が良いかもしれません)は、この武力の空白が出来た時期に生涯を終えております。
王は死に臨んで、領土と権力の継承にローマが介入せぬことを願って多額の富を(一説には領土の半分を)皇帝ネロに遺贈し、王権と残りの財産を妃の「ボウディッカ」に残すと遺言しました。
総督の留守をあずかる行政官カトゥスは、領土の半分では皇帝ネロは承知せぬだろうと先回りして考え、領土を接収してしまいました。同時に多額の未払いローンがあることを盾に取り、差押執行官を派遣して財物を押さえ、百率長には軍団の糧食の徴発を許可しました。連戦連勝で負け知らずで、傲慢になったローマ人にしてみれば、多少イケニ族の憤激をかったにしても高が知れており、その富をローマ帝国の名において略奪するに何の障りがあるものか、と思っていた様です。
イケニ族が豊かであり過ぎたことが、ローマ人の欲心を掻き立ててしまったのではないでしょうか。
女王ボウディッカと一族は、ローマ人の非道な行為を阻止しようと抵抗しましたが、ボウディッカは散々打ち据えられ、娘たちは辱められました。この屈辱的な扱いにブチ切れたイケニ族が反乱に立ち上がりますと、同様な憤懣を抱えていた東部の多くの部族たちが、「時なるかな」とばかりにイケニ族に合流しました。
ローマの軍団兵は、二十五年在籍して満期除隊となりますが、外国人兵士は除隊時にローマ市民権を得て土着することが許されました。物成りが豊かで気候の温和な東部や南部ブリタニアにあっては、退役兵の殆どが土着しました。
実戦経験豊かな退役兵がコロニーを作り、現住民たちと円満な関係を築くことが出来れば、一旦緩急の場合の軍事的な利益は計り知れないのですが、ただローマ軍団と言っても、イタリア人だけで編成されていたわけではなく、ガリアのケルトは勿論のことゲルマンも、遠く黒海沿岸やトラキア、スペインや北アフリカの各地からも徴募されて来ていて、雑多な人種の寄り合い所帯であったことが、問題を難しくします。
ティベリウス、クラウディウスの時代には、属州勤務の官吏の職権乱用については、皇帝自身が厳しい態度で臨んでいましたから、悪行は激減していましたが、ネロは属州統治に興味を持たず、属州民の訴えがあっても特権階級の仲間内での裁判を許しましたので、情況は一変しております。
ボウディッカの時代のローマの現役兵や退役兵たちは、統治者たちの人柄や考え方を写し取った様に横暴で、土地を強奪して住民を奴隷のように使役し、あるいは宗教上の聖地を穢したりで、ブリトンを搾取の対象としてしか見ておらぬのは明らかです。
ブリトンの憤懣は、積もりに積もっていたのです。