急速に勢力をのばすフランク族の圧迫を受け、寒冷荒蕪の地にあって増え続ける人口の出口を求めていたアングル族にとって、ヴォーティガーンの来援要請は渡りに船であった、のではないでしょうか。
449年、莫大な報酬の約束を得たヘンギストとホルサの兄弟は、三隻の軍船を仕立ててやって来て大いに働き、ブリトンを満足させた様です。
ヴォーティガーンはテームズ河口のサネット島を、ヘンギストの軍兵が居住地として使用することを認め、食糧と需品を惜しみなく提供しておりましたが、この厚遇が仇となりました。
ブリタニアの実状を知ったヘンギストは、ゲルマニアから五千の戦士をその家族諸共呼び寄せ、堅固な軍事拠点をこの地に築いてしまいました。
更にヘンギストは、ピクト族の領土の近くに、サネット島におけると同様な同盟軍の居住地を設けることの利点を説き、雇い主を納得させ得たのでしょう、四十隻からなる船団を自分の一族の者や息のかかった者たちに率いさせ、ゲルマニアを発向させました。
この第三番目になる自称同盟軍は、ブリテン島の北に浮かぶオークニー諸島で掠奪をした後、ハンバー河の北側に上陸し、居座りました。
予想外の成り行きとなり、惨禍が迫って来ていることは誰の目にも明らかでありましたが、ブリトンにはそれを阻止する力がありませんでした。
ブリトンにしてみれば、ヘンギストの一統は自分たちの功績を自賛し、手厚い待遇をしているのに、傲慢な傭兵の貪欲さには切りがなく、毎月の給養が十分でないと苦情ばかりで間尺に合わぬのです。
次第に両者の溝は深まり、ブリトンの怯懦を読み取った傭兵たちは「要求通りに物を出さなければ、同盟関係を破棄してブリタニア全土を劫略する」と脅す様になり、そして間もなく実行に移りました。
ゲルマニアには、ブリタニアの土地の豊かさ、住民の不甲斐なさや、都市に集積された財物の豊かなこと、この孤立した大きな島の海岸は何処からでも侵攻できることが伝わり、堰を切った様にゲルマンの侵攻が始まりました。
一般に、アングロ・サクソンの侵攻と言うことで、この二つの部族の外にジュート族を加えて三部族が挙げられますが、近年の遺跡発掘の結果では、この外にアレマンニ・フランク・スウェード・デーン等々雑多な部族が加わっていたことが明らかになっております。
元来ゲルマンと総括して呼ばれる民族は、フランク族・ゴート族・ヴァンダル族を含めて、全てがバルト海沿岸を発源地としていて、移住先で様々な特徴を身に付けたにしても、同類の言葉を話し、ウォドン(オーディン)やトールといった北欧の神々を祀り崇め、同じ英雄や民族の叙事詩を歌い、グレコ・ローマン様式とは全く異なる共通の装飾様式を持っておりました。こうした背景を知れば、ブリタニアへの侵攻に多くの種族が参加していたと聞いても、違和感はないでしょう。
「アングロ・サクソン年代記」に拠りますと、455年にヴォーティガーンのブリトン軍とヘンギストの傭兵軍が戦闘状態に入り、弟のホルサが戦死したことになっております。
457年には、四千人のブリトンが殺され、ブリトンはケント州を捨てて逃げ出しております。
いよいよアングロサクソンの本格的な侵攻が始まりました。
修道僧ギルダスが、545年頃に、その劫略の有様を書き残しており、これが後の歴史記録に大きな影響を及ぼします。
「サクソン七王国」の内の一国・ノーサンブリアに、ビード上人(the Venerable Bede, 673~735、 尊者ベーダとも)と親しみを持って呼ばれる人がおりまして、多くの著作を残し英国史の父とも呼ばれていますが、「イギリス国民の教会史」は日本人にもなじみ深いものです。
上人はその教会史の中で、ギルダスの記述を底本にした様に見えるアングロ・サクソンの振る舞いを書き残しております。
イギリス教会史、Book 1, Chap. XVより抜粋
『つづめて言えば、この蛮族の劫略は、その昔にバビロン人が火を放ってイェルサレムを破壊したときと同様に、神が蛮族を使って罪深きブリトンに下された正当な報いなのである。故に蛮族がバビロン人と同じ行為をしている、いや、むしろ神の下し給うたブリトンに相応しい裁きを、蛮族が代行していると言った方が良いかもしれぬ。
彼ら蛮族は、町も村も無抵抗の内に余すところなく掠奪し、この呪われた島は東の海辺から西の磯まで大火に包まれた。
公私の別なく建物は打ち倒され、司祭たちは祭壇の前で圧し殺された。
司教であろうと下層民であろうと、身分の高下は一顧だにされず、火と刀で抹殺された。こうして殺された者たちの骸は、埋葬する者がおらぬため放置された。
生き残った者の内、ある者たちは山地に連れ込まれて、ひと纏めにして虐殺され、他の者は飢餓に耐えかねて、食を得るために投降したが、その場で殺されなかった者たちは、奴隷にされた。
また他の者は、悲嘆にくれながら、海の彼方に逃れ出た。
故国を離れずに残った者も多くいたが、彼らは森や岩山などで露命を繋ぐにも足りぬ程の食糧で、その日その日をようやく生き延びていた。』
大部分のブリトンは、西部の山地に逃れ、あるいは海辺に出て岩にしがみつき、踏みとどまりました。高位聖職者たちが、殉教よりも聖遺物を携えて海外や山地に逃れる選択をしたため、残されたキリスト教徒は精神的な糧を失いました。
可成り多くの者たちが小舟に乗り、ガリアでも最も荒れ果てたアルモリカ地方に渡り、苦労の末に小ブリタニアを建設しました。
現在の北仏ブルターニュです。
アーサー王伝説での円卓の騎士の一人ランスロットは、このブルターニュの出身と言うことになっている程に、両ブリタニアの関係は長く続きました。