グレコ・ローマン文明への憧れからでしょうか、チャーチルは「英国の歴史はローマ時代に始まる」という趣旨のことを言っていたと思いますが、実際にはアングロ・サクソンとヴァイキングと呼ばれる北方民族のブリタニアへの侵入こそが、英国人の形成とその歴史に決定的な意味を持ちました。
それに比べればローマの統治やノルマンの征服などは、華々しくはあっても幕間の狂言くらいにしか見えないのです。
ローマによるブリタニアの統治は、現在のイングランドとウェールズの範囲に限られ、更にそれがラテン化の進んだ南部と東部地域と、未開のまま残された西部地域に明確に二分されておりました。
ローマ人はブリタニアを属州として維持しようと、帝国が保有する常備軍の一割にも達する四万もの軍兵を常駐させましたが、ローマ人の入植は行われずに終わったため、常住するローマ人の人口が極端に少なく、ガリアにあってなされた様な恒久的なラテン化はならず、文明の変革は表層的でありました。
有形無形のローマ文明の構築物は、ゲルマン諸族の侵攻によって簡単に、しかも徹底的に破壊され、ローマ時代の痕跡と言えば道路と、その道路が合流して都市が発展しやすい立地条件(例えばロンドンの様な)と、そしてウェルシュ(ウェールズのケルト)の間に行われていたキリスト教だけという有様です。
また、十一世紀に英国に侵攻して来たノルマン・フレンチの貴族や聖職者たちが、イングランドのフランス化を志向したため、後のドイツ文化圏とは異なる文化を育てる契機となり、大きな影響を残しはしましたが、結局は既に強固に出来上がっていた社会制度や人種的特性によって薄められ、征服者たちは非征服者の社会に呑み込まれてしまいます。
と言うことで、五世紀の半ばから十一世紀の半ばまでの間に、アングロ・サクソンとヴァイキングによって大英帝国の祖型が作られた、と勝手に考えているのですが、アングロ・サクソンやジュート、フリージアンといったゲルマン民族はどの様な者たちであったのでしょう。
二三世紀の頃には、ゲルマンはルーン文字と呼ばれる記録手段を持っておりましたが、あまり普及しなかったのでしょうか、伝承や歴史的事件の記録に使われることはなく、刀剣に刻んで呪術的な効果を期待したり、岩に名前を刻む程度にしか使われておりません。それもキリスト教の布教が進むとともに次第に廃れます。
従って、移住者側による同時代の記録はなく、遺跡の発掘と伝承や後世の記録に頼る外に彼らの姿を知る方法はありません。
北東ヨーロッパにおこったゲルマンの祖先は、石器時代の終わりの頃には既に農耕を行っていて、その技術を持って各地に拡散して行きました。
アングロ・サクソンの二族はエルベ川を挟んで両岸の土地に、ジュート族はユトランド半島におりましたが、この部族の一部はライン川の河口付近のフリースランドと、沖合に帯の様にのびる島々に移住していて、フリージアンと呼ばれます。
これらの三族からなるブリタニアへの移住者の多くは、砂まじりの荒れ地や湿地帯で細々と農耕と牧畜を営んでおりましたが、地力を保全するために休耕地を作る二圃制や三圃制を持ち、耕地の配分を合議して決めるなどの制度を既に持っていて、常により豊かな耕地への移住を夢見ておりました。
また海近くに住む者たちは、遠く沖合に乗り出して魚を穫り、アシカやアザラシや鯨などの海獣の狩猟に従事しておりました。彼らは厳しい気候や海獣との戦いを通じ、不屈の精神を自然に身につけていて、争いがあれば海賊に早変わりして勇躍掠奪に向かいます。そして例のカラウシウスの時代には、大洋を押し渡れるほどの技を持っていたと見られます。
古くは神々を祖先に持つとされる血筋の者が、王権を持って氏族をまとめ独裁的な統治をしていたのですが、ブリタニアへの移住を始める頃には、王族に並んで貴族階級が興るとともに、戦闘行動では当然のことながら個人の能力が重視される様になって、氏族の枠を超えた個人的な結びつきが尊重される様になります。
頭目への忠誠が守られる限り、戦闘集団の構成員は氏族や民族の別を問われることはありません。こうした個人主義の台頭は強奪的な植民と言う目的に適い、後のアングロ・サクソンによる国家統一にも役立つことになります。
これに対し、ウェルシュやスコットのケルト民族は、あくまで氏族(クラン)と血の繋がりを重視し、血族間の交渉は遠い縁戚にまで及び、その家族的暖かさは今日では羨むばかりのものですが、こと国家の統一とか社会全般の問題解決となると、この事が障害となり苦しむことになります。
夏、海から入ってエルベ川を遡りますと、両岸は柔らかな草に覆われた美しい疎林が続き、船乗りたちの目を慰めてくれます。あの辺りでは日本での様に猛々しい夏草が生い茂らぬのです。何かホッとした気持ちでハンブルクに入港しますが、手続きの為に乗船してくる官吏たちの巨体には、一転して度肝を抜かれます。
ブリタニア侵攻の先遣隊として、この様な巨人と見まごうばかりの者たちが、選抜されて乗込んでいったのではないでしょうか。精鋭を以て鳴るローマ軍団でも、初めてゲルマン軍と遭遇した時に恐怖に震えたと言いますが、さもありなんと思うのです。
アンドレ・モロアは「白色の巨大な体躯、凶暴な碧眼、赤みがかった金髪、健啖で何時も空腹を感じ、強い酒の廻っている胃の腑。かようなアングロ人とサクソン人は激しい気性の持ち主で、この気性は千五百年経ったところで、ケルトやラテン人の様に柔らかくはならないのだ。ブリタニアに侵入した当時、彼らは人の命など何とも思っていなかった。男子が一人の頭目を選んだ場合、これに献身と尊敬を捧げ、敵に対しては如何ほどにも残酷になれるが、身内には誠実である」と言っています。