kitombo.com | 海賊の話 | 2004年11月1日 
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海賊の話
「アングロ・サクソン その2」

裏小路 悠閑
11月1日

 アングロ・サクソンの侵攻も、アルフレッド大王の頃のヴァイキングの侵攻も、ともに劫略を旨とする侵略と、比較的平和的になされた植民の二面性を備えておりまして、どちらかを強調するあまりに、他を忘れることは誤解の元となります。
 冷酷無残で、優れた文明の破壊と劫略に快感を覚える海賊どもがいる一方で、あのメイフラワーでアメリカに移住した清教徒の一団にも似た、至極真っ当な農民たちもまた侵入者であったのです。
 もし彼らが野蛮人でなければ、ローマ文明を破壊することはなかったでしょうが、同時に、もし彼らが農民でなければ、後にローマ文明を超える独自の優れた文明を造り出すこともなかったでしょう。

 剛胆なゲルマン海賊群は、喫水の浅い無甲板の手漕ぎボートで北海を押し渡り、テームズ河やハンバー川、その他の入り江や川を潮汐を利用して、沿岸を荒らしながら内陸奥深くまで遡り、ローマの遺した道路を利用して急速に展開し、効率の良い掠奪をして、風の様に退去しておりました。
 掠奪行が成功すれば、国に戻って祝宴を張り、酔った頭で考えるのです。
 「宝の山を掠奪しても、運べる量はたかが知れている。いっそのこと全員で移民してしまえば? ブリタニアは温暖で地味は豊かで、耕作にも牧畜にも適している上に、樫の森には鹿や野生の豚があふれているではないか」

 初期のゲルマンの侵攻者たちは、戦闘的な集団ではありましたが、軍隊と呼ぶにはほど遠く、実態は掠奪を目的にした海賊集団であります。
 槍と木製の楯を頭領から支給され、貴重品であった刀剣を持つ者は頭目クラスだけです。鎧兜や鎖帷子をまとう者は千人に一人、と言った情けないほどの武装でしたが、強烈な目的意識とエネルギーが、不足を補って余りあるのでした。
 迎え撃つブリトンが「アーサー王」らに率いられて、ローマ式の陣立てで戦ったのか、ケルトの父祖伝来のやり方で戦ったのかどうか知る由もありませんが、勝ったり負けたりの末に、結局は軍隊としての訓練も統率もない、貧弱な装備の海賊集団に征服されてしまったのです。

 ローマ化の最も進んだブリタニアの東部と南部にあっては、ローマの統治と文明の奇妙とも言える特徴を強く受け継いだ結果、住民はどの階級の者も自衛のための軍事訓練を施されておらず、自助の意識も育っていなかったのです。
 都市や荘園の管理運営に責任を負う貴族や権力者にしたところで、中世の小領主たちの様に領土と領民を守るために戦う意思を持った者たちではなく、軍事に全く関心を持っていなかったのは治下の庶民と同様でありました。
 無防備な荘園の居館とは異なり、大都市は石造の防壁こそ廻らしてはいたものの、そこに住まう市民たちはと言えば、これまた中世の自由都市で中産階級市民たちが組織した市民軍の様な軍事組織を持つなどと言うことは、およそ考えも及ばぬことでありました。
 見方によっては、ローマ世界は中世ヨーロッパよりも開化していたかも知れませんが、中央政府や軍団に何事かが起こった場合、地方は自助自立する能力を持たぬ、という致命的な欠陥を社会機構に持っていたに違いないのです。
 勿論その要因は色々ありましょうが、蛮族の侵入によって露呈したこの文明的欠陥を除くために、封建制への移行が徐々に始まったとも言えるのでなないでしょうか。

 ブリタニアのローマ文明を破壊したのは、侵寇して来たアングロ・サクソンたちだけではなく、都市文明を捨ててケルトの未開文明に回帰したブリトンも、知らず知らずのうちにその破壊に力を貸したことになるのです。

 海からの侵入が容易なブリタニアの東部と南部の、いわゆる低地地方は島内で最も肥沃でありましたから、掠奪者も植民者も第一の目標としたのは当然の成り行きで、ローマ文明はさながら箒で掃く様に破壊されました。
 かつて、優れた文明を持ってローマが侵攻して来た時には、ローマを盟主とすることに左程の抵抗はありませんでしたが、今や十分に開化して文明人を自負するブリトンたちは、蛮族を統治者として戴くことを潔しとせず、都市や村を捨ててウェールズの山地やコーンウォールの湿原地帯に逃れ、未開の環境に生きる同胞のケルトと生活を共にすることになりました。
 (こう言った状況下にあったブリトンやケルトを、サクソンは異邦人の意味で「ウェルシュ」と呼んでありますので、以後はこの語を使うことにします)
 この避難生活がもたらした最初のものと言えば、急激な人口の減少と耕作地の荒廃と縮小であり、その結果としての貧窮であります。ゲルマンを「蛮族」と蔑む根拠となっていたローマの伝統や学問や技術は、貧窮の故に僅々一・二世代の内に完全に失われてしまいました。
 この様にして、ウェルシュも侵攻者サクソンに劣らぬ粗暴な蛮族に先祖帰りしてしまいましたから、ローマ文明は両蛮族によって押し出されてしまったと言えます。

 元来豊かな土地である低地地方を占拠したサクソンは、人口も急増し豊かになり、やがてキリスト教徒となって彼ら独自の文明を発展させますが、彼らを蛮族と蔑んで来たウェルシュの方は停滞したままとなります。
 つまり地勢的条件が、両民族間の相対的な文明的地位を逆転させることになってしまうのであります。   

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