小王国ケントの福音化は簡単に進みましたから、教皇は大いに喜び、アウグスティヌスに聖杯布を贈るとともに、全ブリテン島における司教任命権を与えました。
取りあえずはケントの中心地であるカンタベリーに大司教座を置いて布教の拠点とし、いずれ改宗が進めばロンドンに本拠を構えるつもりでおりましたが、それほど世間は甘くはなかったのです。結局自立性の強烈なこのロンドンからは追い出され、カンタベリーはずっと英国教会の総本山であり続けます。
アウグスティヌスは教皇から受けた権限により、全島の司教を支配下に置くことを夢見て、ウェルシュの司祭たちを招集して、ローマ教皇の定めた儀典により洗礼を施し、復活祭をローマ教会と同じ時に祝うこと、邪教徒アングロ・サクソンにもキリスト教を説くことの三か条を受け入れることを求めようとしました。
ウェルシュの司祭たちは、嫌々ながらも集まってきましたが、アウグスティヌスは地位と権威の懸隔を明らかにしようと、席を立たずに彼らを迎えました。
ウェルシュはグレゴリウス流の華麗な典礼には無縁でありますし、最後の条件は受け入れられるものではありません。加えてアウグスティヌスの傲慢な態度にウェルシュは憤激し、会談は忽ち決裂しました。
修道士パウリヌスは、大国であるノーサンブリア王国の改宗に派遣されました。
ここでも国王エドウィンの妃はキリスト教徒でありました。
おそらく、コルンバの主導するアイルランド系のキリスト教に感化されていたものと思われます。
パウリヌスは王妃の力添えもあって、627年の復活祭には、国王を含め多くの宮廷人に洗礼を施し改宗させることに成功しました。支配者の改宗は民衆の改宗でもありました。周辺にはノーサンブリアの宗主権を認める多くの小王国がありましたから、これらの国々にも大きな影響が及んだわけです。
大国ノーサンブリアでの成功は、サクソン・イングランドの大半を改宗させたに等しく、ローマ教会側は大喜びします。
この同じ時期、島央部のマーシア王国が興隆しつつあり、ノーサンブリアとの間で覇権を巡る政治抗争が絶えませんでした。
マーシア国はノルディックの宗教習俗を墨守していて、剽悍な国民を抱えておりました。見方によればオーディンとキリストの覇権争いと言えるかも知れません。
633年、マーシア国王ペンダは、アイルランドから渡って来たスコットの王カドワロンやウェルシュと同盟してノーサンブリアに襲いかかりました。
この戦いでノーサンブリア国王エドウィンと王太子オズフリッドはともに戦死してしまいます。勢いに乗ったマーシア・ウェルシュの同盟軍はノーサンブリアで劫略の限りを尽くし、ウェルシュは積年の怨みを晴らすに、またとない機会を得たのでした。
ノーサンブリアの領土は大幅に削り取られ、もはや政治的主導権を争う力は残されておらず、政治の表舞台から消えたと言ってもよいでしょうが、この後はマーシアの圧力によく耐えて、ヴァイキングの入冦が始まるまでは独立国としての地位を保ったばかりでなく、宗教的・芸術的な分野では令名を馳せ、例のビード上人などの文人や学者を多く出しております。
「アングロ・サクソン年代記」によりますと、633年に国王と太子が戦没したすぐ後に、修道士パウリヌスは故王の妃エセルブルガを伴って船でケントへ脱出し、同地で手厚い待遇を受けたとあります。
国王などの中心的人物の急死によって状況が一変する事態は、この後もまだまだ続きます。
成り行きで改宗はして見たものの、キリスト教に心底帰依していたわけではない民衆は、マーシアの支配下でまたオーディンの懐に戻りました。ただマーシア国王は、後にカンタベリーのローマ教会が行った様な異端者や異教徒の迫害を行いませんでしたから、宗教による紛争は起こりませんでした。
ノーサンブリアの衰退は、同地方のローマ教会勢力の衰退でありました。
ここに聖コルンバの流れを汲むケルト系キリスト教の修道士が活躍し、遠く南部地方にまで影響を及ぼします。
彼らの熱意は、ノーサンブリアとエセックスで邪道に迷い込んだ人々を再改宗させ、マーシアのオーディン信仰を続ける民をもキリスト教に目覚めさせることになりました。
七世紀にコルンバの修道者たちがあげた成果は、カンタベリーに発した伝道の成果に勝るとも劣らぬものでありましたが、その成果を支えたものは、只ひとえに修道士個人の熱意でありました。
コルンバのキリスト教は組織の欠如に加え、後継者の間で布教への熱意が低下したことで揺らぎ始めます。お負けにビード上人の八世紀の初め頃には、莫大な寄進の集積故に修道院に腐敗がはびこり、民衆の敬意は地に堕ちてしまいます。
修道士の多くは、コルンバのイオナ島の修道院に倣い、あちこちの離島や人里離れた岬の突端に修道院を建設しましたが、ここに財宝が集まった結果、ヴァイキングにとっては宝の山で、襲撃の第一目標に据えられることになるのです。
代わってローマ派教会は、その組織力を以て全島に力を伸ばし、勢力地図を再び塗り替え始めます。
ローマ帝国式によく統制された組織は、一時的な熱意に沸き立った個人の集合に結局は立ち勝ったのであります。