kitombo.com | ドクターいわくらの不・思・議・探・検 | 2004年4月5日
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ドクターいわくらの不・思・議・探・検
「宮崎旅行/生目古墳群〜笠置山墳丘墓(1)」

あきら@すずき
4月5日

○「ちょっと待てよ」
 辺りが真っ暗になってから、ようやく帰路に付いた宮崎探検隊は、先頭を行く猫ばす堂こと谷口実智代さんの後ろから必死で追い掛けて行く。運転手は他ならぬ私、鈴木旭さん。結構、腕は確かである。安心して乗っていられる。九州自動車道から宮崎自動車道へ乗り入れて行く。
 宮崎市内・大淀川淵に建つホテルに到着したのは早く、午後7時ちょっと過ぎた頃だったと思う。ホテルに到着すると着替える間もなく、直ちに飲み屋さんに突撃したのは言うまでもない。ここで焼酎「霧島」をゲット! 1本、ペロリと平らげて前後不覚に陥った人が2人いたことは公然の秘密。
 ともあれ、翌朝は念願の「鳥型古墳」見学とあって、私は最初から興奮気味。まずは生目古墳群に向かったところ、路地々々に諏訪の道祖神のような石碑というか、石仏というか、石塔が立てられているのが目に飛び込んできた。そして、「この地区はどうも妙なところだな」と呟いた時だった。
 クルマは「生目古墳群」と彫られた石碑が建てられた四辻にさし掛かっていた。ちょうどその四辻にお堂が建っており、何か、めずらしい石碑がずらりと並んでいたのである。それも最近のものではない。自然石がそのまま建ててある。かなり古いようだ。クルマを停めて観察することにした。

○予期せぬ月天子との遭遇
 宮崎市教育委員会が用意した「生目古墳群」の案内板があった。見ると、われわれが見学予定の頭の部分が欠けた1号墳と付随的なものとして説明されている2号墳が分けて描かれている。わりと良心的に描かれている。
 まあ、それはいい。とりあえず、われわれの関心は石に向いている。まずは、木像のお堂に何が祀られているのか、観察してみることにした。ちゃんと手を合わせてお参りをする。不躾にじろじろと見るのは良くない。まずはお参りをしてから観察行動に移るのが常識というものだ。御札が祀られていたが、興味深かったのは「叩き石」が安置されていたこと。
 叩き石とは女性の性器を象徴する石のことで、生殖儀礼に用いる石のこと。この時、一対の石として使われるのが男根石。祭祀者は左手に叩き石、右手に男根石を持ち、叩き石を男根石が叩く仕草をする。そういう儀礼に使われる。その道具が奉納されていたのである。何か、そういう女性のお祭りと関わりのあるお堂なのかな、と思った。
 次に、外に並べられた自然石の石塔群を1体ずつ、残さず撮影し、隈なく観察するように努めたところ、1つだけ、妙に気になる石塔があった。「月天子講」という4文字が刻まれた石塔である。「月」という文字が気になる。それに石の形がおかしい。3本指なのか、3つの峯なのか。何か、3つを象徴的に表現しようとしているのが気になる。
 実は、この時点ではまったく私本人が予想もしていなかったのであるが、これが思わぬ大発見をする最初の鍵になっていたのである。直観というものは恐ろしいものだ。大事なものを見せられたのであり、見せられたことによって何か、より大事なものを発見するきっかけを与えられたのである。
 それは女性中心のお祭り、月天子のお祭りであった。

○「あっ、ここにもあった」
 われわれは生目古墳群の1号墳を見学した。そのことに話題を移すと話の流れから言って途切れてしまうことになるので、詳しいことは次回に回し、われわれは、やはり、月天子の話題を引き続き継続したいと思う。
 われわれは笠置山墳丘墓に回った後、岩戸神社に向かったのであるが、ここで話題は振り出しに戻ってしまった。参道入口にクルマを停めて入ろうとしたら、いきなり、月天子の石塔が立っている。宮崎探検隊のメンバーは誰も気が付かないのか、皆、さっさと通りすぎてしまうのだが、これは由々しき問題だ。私は念入りに撮影し、観察した。
 形は違っても、基本的条件は同じ。やはり、3本指というか、3本の峯というか、3つの尖り山が突っ立っている。そのように加工した石に「月天子講」という文字が刻まれている。生目地区で見たものと同じものと見ていい。
(うーん。いったい、何だ、これは・・・)
 私はうなってしまった。事前学習がなかったもので、まったく判っていない。悩んでしまった。悩みながら階段を昇り、社殿の前に進み出ると洞窟があった。金本さんが三脚を立てて撮影をしている。フラッシュを焚かないで撮影するつもりらしい。なかなか高度な技である。ひょいと上の壁を見た。
(あっ! ここにもあった!)
 私は唖然として見入ってしまった。すると、その場に居合わせた探検隊のメンバーも「鈴木さんも気になっていましたか、やはり」と言ったのであった。私も「あっ、何だ。やっぱり、皆も見ていたんだ」と答えたところ、「当然ですよ」という答が返ってきた。当然のことだ。あれだけ生目地区で強調したんだから印象に残らないはずがない。

○「これ、宿題ね」
 私は皆の視線を外して、ひょいと社殿方向に目を向けた。
 すると、岩戸神社社殿は大きな岩盤の上に乗っかるようにして建っているのであるが、こういう建築形式になっている場合、大抵、妙な因縁を含んでいるのが常である。ゆっくりと近づいて岩盤に目を凝らして見た。
「やはり・・・・」
 私は頷いた。たくさんの、いや、無数の杯状穴が岩の表面がぼこぼこになるほど開けられていた。随分、長い間、多くの人々によって願掛けとか、お祭りとか、さまざまな祭祀行為が繰り返されてきた痕跡を残していた。それらの一つひとつの痕跡が、いつの時代のものか、特定することはできないが、かなり古くから行なわれてきたことは想像できた。
 そして、上ってきた方向、多分、東方向に岩盤は二俣大根のように大きく割れていたように思うが、その形は単純率直、大きな岩盤全体が女性の性器を表現していたのではないかと思われる。だからこそ、杯状穴の祭祀儀礼と月天子の石塔が奉納されるのである。どれもこれも女のお祭りである。
 となると、宮崎は女の国ではないのか? これは私の結論である。天皇の国ではない。母系制社会ニッポンの原形を残すクニ、宮崎。縄文文化は母系制社会でなければいけないわけで、天皇制国家はあり得ない。母系制社会を覆した時、天皇制国家が誕生したと言っても過言ではない。その痕跡を見るのが宮崎ツアーであったのだ。

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