kitombo.com | ドクターいわくらの不・思・議・探・検 | 2004年4月19日
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ドクターいわくらの不・思・議・探・検
「宮崎旅行/生目古墳群〜笠置山墳丘墓(2)」

あきら@すずき
4月19日

○まだまだ気になる
 生目古墳群の話題に移りたいのであるが、まだ早い。もう一度、月天子について触れておかなければならない。
 私は帰京後、すぐ猫ばす堂さんにメールを送った。宮崎は神武天皇の祖国、天皇制国家のルーツと聞いていたが、まったく違っている。宮崎は女性の国だ、母系制社会の伝統が至るところに残されており、その形跡を消しきれないでいる。その一つが生目古墳群〜笠置山墳墓の大淀川流域における月天子講という形で引き継がれてきた信仰であった。
 ところで、その講自体は多分、そんなに古いものではない。それは百も承知している。取り寄せた資料(生目地区の歴史と文化財展/平成11年2月6日〜3月14日)によれば、月天子の石塔はほとんど江戸中期に建立されている。しかし、そのベースになっている宮崎特有の事情が何かある。私は直観したのだ。表の歴史に現れにくいところは必ず民間信仰の形で屈折して引き継がれるケースがよくあるからだ。
 問題は、それを見抜く直感力(カン)が働くか否か。その一点にある。カンとは当たるも八卦、当たらぬも八卦の単純な賭けのことではない。長年掛かって蓄積した知識と体験の集大成であり、さらに自分の役目を悟り、懸命に務めようと努めるものだけに与えられるある種の力を得て発見させられる創造的行為であって、誰でもできることではない。

○宮崎は女性の国だった
 私が「宮崎は女性の国だったんじゃないか」と言うと、猫ばす堂さんは率直に反応した。彼女は言った。
「鈴木先生の『女性の国』、まさにそうだなぁと常々思ってました。イザナギノミコトよりイザナミノミコトの方が神社に単独で祭られているし、みなさんと行った鵜戸神宮はウガヤフキアエズノミコトじゃなくてトヨタマヒメをまつっているようにしか思えないし、たとえば史書に名前が残る諸県の君牛諸井は、天皇の嫁に行ったお父さんという感覚。日南市には実在の霊能力の高かった尼さん(巫女的!)を祭った神社もあります。その中で天照大神の存在の影の薄いこと!」
 ちょっと引用が長すぎたかもしれないが、宮崎県人の率直な反応を紹介したかったので、延々と引いてみた。これが実情なのだ。月天子の根は深い。しかも、月天子の追跡調査をお願いしたところ、彼女のレポートによると、どうやら大淀川流域に集中しているらしいことを突き止めた。しかも、上流に行くに従って、平べったい石塔から丸く、性的なモニュメントとして認識できる石造物に変化して行く傾向があるとのことだった。これもなかなか面白い。
 これはどういう問題だろうか?

○岩戸神社の女陰石信仰
 大淀川上流の嵐田神社を中心とする地区で見付けた月天子の石塔だと言って、猫ばす堂さんが送ってくれた写真が、いま皆さんに見ていただいているものだ。どことなくユーモラスで、ゆったりしていて、福々しくて、幸せな気分になれる。おそらく、これが元々の宮崎原住民の月天子の石塔というか、ご神体石なのではないだろうか。
 だから、そんなに難しいことではない。実に判りやすいことなのだ。たとえば、笠置山墳丘墓近くの岩戸神社が建つ山の上にある女陰石を見ればいい。先々週のコラムで紹介した通り、杯状穴でぼこぼこになっている、ただの岩のように見えるが、実は巨大な女陰石になっているのはよく見れば判る。それは同じ系統に属する石造物である。
 ところが、渡来人によって易々と制圧された大淀川下流では宮崎原住民の月天子信仰は潰されて、変型されてしまったが、上流へ逃げた宮崎原住民は元のままの形を伝えていると考えられなくもない。その結果として、二つの形に分類し、区別できるのではないだろうか。

○「鳥型古墳」との関係に注目!
 月天子の石塔は二つの形に分類し、区別できると言った。
 その際、猫ばす堂さんは面白いことを言った。彼女は何気なくポロリと口走っただけなのであるが、彼女は「宮崎の月待ちの石塔は、大淀川流域に集中しており、特に日高氏の書籍の中にある地域の石塔は平べったい正方形に近い自然石で作られているという特徴が見てとれます」と言った。
 つまり、鳥型古墳があった地域の石塔は平べったい正方形に近い自然石で作られているという特徴があるということだ。おそらく、これは渡来人の侵入と無関係ではないだろう。鳥型古墳を破壊し、前方後円墳に偽造した人々が宮崎原住民の月天子信仰を破壊し、まったく別の月天子に置き換えてしまったのだろう。似て、非ざるものにしてしまったのだ。
 それは母系制社会の転覆による天皇制国家への転換である

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