○岩戸神社からみた笠置山墳丘墓

岩戸神社のことについては、すでに書いた通りである。
到着早々、月天子講の石碑に迎えられ、長い階段を上って境内に入るや否や、再び月天子講の石碑に出会う。この時点においては「ここは女の祭祀場だ」という認識はなかったのであるが、社殿に近づいた時、大きな岩に無数に開けられた杯状穴を確認した時、「ん? これは変だぞ?」ということになった。私のピンクの頭脳が急速回転し始める。
杯状穴というのは、文字通り、大きな岩盤の上に杯状に削り取られ、磨かれた穴のことで、考古学上の遺構というよりは、民俗学上の遺構・遺物として珍重されている。なぜなら、別名を性状穴と言い、豊穣の儀礼に伴う祭祀遺構として認識されるのが通例であり、凹状の穴にお供えを入れ、凸状の石棒などで突き、叩き、練り、回すなどの行為をすることで性行為を連想させるようなことをするからだ。
日本の場合、どんなに大きくても、杯よりも大きくなることはない。ほとんど杯大であり、大きくてもコップ大がせいぜいのところである。それが社殿が乗っかっている大きな岩塊の至るところに見えるのである。ほとんど蜂の巣状にぼこぼこに空けられているのであった。こんなに多いのもめずらしい。私は「これを調査研究された方はおりませんか」と猫ばす堂こと谷口実智代さんに伺ったところ、「見当たらない」とのことだった。それはおかしいと思った。これほど、明瞭かつ膨大な考古学的史料に着目しないなんて、信じられないことである。
○二俣大根状の大きな岩塊
改めて杯状穴が刻まれた大きな岩塊を観察していたところ、どうも岩全体が二俣大根のような形をしているのに気付いた。もちろん、私の記憶も不確かになってきているので確認する必要が出てきているのであるが、参道側に向かって、二俣大根の足が伸びていたような気がする。参道側は、私の記憶では太陽の上がる方角だから東側である。その東に向かって両足を開く格好になっているのである。
東の空に上がる、イキのいい太陽のエネルギーをそのまんまいただいて立ち上がるわけである。本来、そういう意味では、この大きな岩塊自体、この岩戸神社のイワクラ(磐座)であり、ご神体石であったはずだ。中心的な祭祀対象となる岩であり、これを中心としてイワクラ群が組み上げられていたものと思われる。それは十分に考えられる。
ところが、イワクラ信仰を否定し、それを闇に葬り去らんとするために社殿を発明し、粉飾して神社神道に衣替えしてしまったのであった。あるいは、そうでもしなければ到底、生き延びることができなかったのかもしれない。その結果、神聖なる祭祀対象であったはずの大きな岩塊、すなわち、イワクラが、社殿の土台石になってしまったのだった。
○真西に見える笠置山墳丘墓
この岩戸神社に立って西を見れば、何度も出てくる笠置山墳丘墓が見える。左手、すなわち、南側に変電所があり、その奥に笠置山墳丘墓が隠れているという格好だ。そして、岩戸神社の左脇を走る道路は、そのまま笠置山墳丘墓の頭を直撃するように伸びて行く。あたかも墳丘墓の頭部と胴体部を分断するために突撃するかの如く、伸びて行く。
いったい、何のための道路なのか? この道路は?