歴史作家のマ・ニ・フ・ェ・ス・ト
「閑話休題・神々の島 与那国島」
あきら@すずき
7月28日
○懐かしい風景
つい2週間程前のこと。愛用するパソコンのデスクトップに使用していた背景写真が入れ替わった。それまでは意味のない風景写真を背景に使っていたのであるが、今度は沖縄・与那国島の中心に根を下ろす霊峰宇良部岳の写真にした。海底遺跡を見下ろす新川鼻の山頂部で「人面岩」を発見した時、興奮しながら撮影した思い出の写真である(写真1)。
与那国の山に特有の緑の重なり具合、空を行く雲の色具合が気に入り、「これこそ与那国だ」と感動した場面である。いまは、たまらなく懐かしい。そして、どうしてこんなに懐かしい気持になれるのか。自分でも不思議になる。それは、やはり、与那国の心に触れたからではないだろうか。
モノではない。心に触れたからである。
○神々の素顔
人面岩の発見は一つの結果にすぎない。問題なのは、その発見に至る経緯である。その点で一つ、悟るところがあった。
私はピラミッド(山岳祭祀)とイワクラ(巨石文化)、そして、ペトログリフ(岩刻文様)を一貫して追求してきた者である。それは与那国島でも変わらなかった。自分なりの問題意識と視点があって、他人の意見を受け入れるものではなかった。
しかし、私は昨年夏、山歩きしている時、転落事故で頭から背中、腰を思い切り岩場に叩きつけられ、1分30秒の間、命を失った。ところが、わずか6,7メートル程、離れたところで休憩中の山岳救助隊に救助され、九死に一生を得て再帰。以後、悟るところがあって、人の意見をよく聞くように心掛けた。
まず役場に行き、教育委員会に赴いてあらましを伺った。町史編纂委員会に行った。与那国唯一人のユタとして活躍中の仲吉さんをお訪ねした。それから久部良お嶽を皮切りに島内11カ所のお嶽全部を見て回った。そして、私設博物館の池間苗さんに面会した。そこで耳に入ったのが「新川鼻にもお嶽と同じような拝み所があったよ」という証言だった。
その時、初めて陸と海が繋がったと確信した。私は権藤正勝さん、田中正勝さんと一緒に新川鼻に向かった。そして、拝み所と言われる巨石文化遺構を発見し、人面岩を発見するに至ったのはレポート記事で紹介されている通りである。やはり、池間証言の通り、拝み所はあったのである。
それまでは、私自身の経験と直観を頼りにして山一筋、岩一筋に調査を重ねてきたのであるが、それをストレートに追求するのではなく、一旦休止して、山と里を繋ぐお嶽巡りを開始した時、山を中心とする古代祭祀の一端を垣間見せていただいたわけであり、山を見ることなく海をみても正しい認識に到達するのは難しいことを改めて教えられたわけであった。
やはり、自分の考えに固執することなく、人の意見をよく聞いて、特に地元の人びとのお話しを聞き漏らさず、よく記憶に留めて素直に行動したからこそ、人面岩を発見することができたということではないだろうか。この点、本当にいい経験をさせていただいたものと感謝している。
それによって、私は神々の素顔を直接見せていただくことができたものと思う。
○神々のネットワーク
人面岩を発見する機会に浴して、私は次のような認識を得ることができた。これは大きな一歩前進である。
1 お嶽は巨石信仰と山岳信仰、つまり、御嶽信仰の平地における拠点(祭り場)として作られたのではないだろうか? 元々は山にあった信仰の拠点が里におりて来たのが、日本列島ではよく見掛けるが、沖縄・与那国でも例外ではなく、山岳信仰と巨石信仰が里に下りて来たのがお嶽ではないのか?
2 お嶽は、宇良部岳と久部良岳という2つの山を中心にして張り巡らされたネットワーク上に巧みに配置され、それぞれ有機的に結合することによって、島全体が“神々の島”として機能すべく組み立てられているのではないか?
お嶽は無闇に作られたわけではない。その場所でなければならず、その向き(方位方角)でなければならず、その祭の形式でなければならないという理由がある。いずれ、機会があれば、一つひとつ、解明して行きたいと思う。
3 海底遺跡は、神々が作り上げた神殿の一部、それも、ほんの一部にすぎないのではないだろうか? それは古代祭祀の全体系にアプローチするためのきっかけ作りというか、方便として出されているのではないだろうか?
私はいま、「山を中心とする神々のネットワーク」に注目するという視点と方法論に感動している。
改めて繰り返すまでもないことであるが、それは黒又山ピラミッドの調査段階で仮説として提示された「クロマンタ原理」、すなわち、ピラミッド(山)を中心とする古代祭祀の原理が日本全国どころか、世界共通の普遍的原理ではなかったのか、という大仮説として提案されるわけである。
佛教でもなく、神道でもなく、道教でもなく、ましてや、キリスト教でもなく、さらに、さらに古い土着の原始信仰の姿を追って行けば、われわれのルーツ、先祖の姿が見えてくる。それは沖縄・与那国島のルーツというだけではない。日本列島を含む東アジア世界、世界の宗教と文化のルーツは岩に行き着くということである。
そして、その岩は必ず、山の上にある。山の上にある岩の実態に迫らずして、神々の国に迫ることはできない。いかなる聖地も山の上にあることを思い起こす必要がある。そしてなぜ、そうなのか。改めて思い起こす必要があろう。
あらゆる歴史的事実、あらゆる神話、あらゆる伝承は山の上の物語に凝縮されている。その中に解決の手掛かり、ヒントが隠されている。過去を読み解くキーワードは山の上にある岩にある。
○沈黙せるイワクラ・ネットワーク
では、与那国島はどうなのか。改めて問い掛けるのは、与那国島を訪ねる人々は、あまりに水中遺構、海底遺跡一辺倒であり、陸上の山岳遺跡、巨石文化に注目する人がいなかった。それがどういうものか、どんな価値を持つものか、考えようとする者が一人もいなかったということである。
しかし、与那国の人々は知っていた。どこに本筋があり、何が本当に価値あるものであるか、を(写真2)。
そうした中で、人面岩が発見されたのだということを改めて再認識する必要があるのではないだろうか。トップバッターとして人面岩がお出ましになったものの、二番手、三番手が控えているし、四番のホームランバッターなどは、まだ誰の目にも見えないところでトレーニング中であり、まったく姿を現していない。神々の存在は、決してこの程度のものではない。
本番は、これからである。
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