kitombo.com | ドクターいわくらの不・思・議・探・検 | 2004年8月9日
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ドクターいわくらの不・思・議・探・検
「与那国島が呼んでいる/東崎堆のミステリー」

あきら@すずき
8月9日

○ムー7月号を読んだか?
 どういうわけだろうか? 私が追いかける謎は、どれも簡単に埒が開きそうもないものばかりである。
 たとえば、最近の話題では「ムー」7月号に掲載された熱海海底遺跡などは、その典型ではないだろうか。最上孝太郎のペンネームでレポートしたこの記事は、結構、多くのムー読者の間で話題になった。その概略は次のリード文の通りである。
「静岡県熱海市の沖合に謎の海底遺跡がある。
 石の階段や石垣、
 回廊などのほかに篝火を焚いた跡や大桟橋もあり、
 ここがかつて軍港であったことをうかがわせるものだ。
 それは古代において、
 熱海が海上防衛の
 重要な吉であったことを物語っている」
 ではいったい、どこを守るための軍港か?
 鎌倉である。迷うことなく、私は鎌倉であったと答えておきたい。鎌倉は熱海を押さえる限り、関東の表玄関であった。関東を掌握する将軍の幕府所在地であった。
「いざ熱海へ」茂在先生とご一緒に東大寺前にて記念撮影

○国次秀紀さんと合流し熱海海底探査へ
 詳しいことは次回から述べることにするが、いずれにしろ、私は例によって山の調査からスタートした。そして、まったくの山カンであるが、熱海の中心を占める走湯山伊豆山神社が曲者であることは最初から目星を付けていた通りであった。
 その裏山の中腹には巨大な女陰石と男根石がワンセットになったイワクラ(磐座)が祭られていたのである。そして、尚々聞けば、その磐座さえも本体ではなく、その後ろに控える岩戸山に鎮座する、さらに大きな女陰石がご神体になっているというのであった。何という偶然であろうか。
 偶然は、まだ重なる。不思議なものだ。伊豆山神社の裏山の磐座を基準にして真南を見たところ、実は国次秀紀さんが発見した海底遺跡のポイントに突き当たることに気が付いた。言い換えるならば、国次さんが発見した海底遺跡ポイントと伊豆山神社裏山の磐座所在地は、偶然か、必然か、正確に南北線上に並ぶということなのだ。
 何か、特別な意味があるのだろうか。
 私は特別な意味があったのだろうと推測している。古代になって篝火を焚く灯台になったとしても、元々は別の施設、たとえば、伊豆山神社の裏山の磐座と同じような祭祀施設であった可能性は否定できない。それは湯を吹き出し、激しく火を吹く火山であったわけで、祭祀の対象にならないはずがない。
 そういう推測と先入観に基づいて、細かく事実を見直している。熱海海底遺跡は決して鎌倉時代に留まるものではない。すでに私が伊豆山神社の裏山で発見した女陰石と男根石が進むべき方向を示唆している。海底遺跡と言えば海底ばかり見ている人には永遠に判らないことである。
 もう一度言う。海底遺跡は沈んだ遺跡である。沈んだ遺跡である以上、陸上にある遺跡を見る視点を持たない者が見ても理解できない。たった、この程度のことさえも理解していない者が多いのである。陸と海を切り離して論じることができると信じているのだろうか。
 しかも、それは古代を突き抜ける視点、巨石文化を解析する視点と方法論を持つ者でなければならない。石の科学である。そんな科学は誰も知らない。誰も確立していない。縄文とか、弥生とか、そんなレベルではない。地球物理学的な観点と社会科学的観点の双方を兼ね備えなければならない。
 どういうものか。前人未到の世界に向かって、私は歩いて行く。石の科学を確立するために。先学先見の諸氏に教えを請いたい。私は何をすればよいのだろうか?


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