○4年前の9月

あれは平成12年(1999)9月のことである。
シーマンズクラブの招待で、グラハム・ハンコックさんとサンサ・ファイーアさん、そして、本間公也さんと彼が率いる水中調査専門チーム8名が与那国島に集結した。もちろん、この他に大地舜さんと私が加わっている。この総勢13名から成る混成軍が、和泉用八郎船長のクルーとドッキングすることによって、海底遺跡調査の新境地を開拓しようというのがそもそもの狙いであった。
時計の針を一旦、4年前まで戻さなければならない。そうしないと話は始まらないのである。
この時、台風11号、12号、13号とまとめて3つも発生し、ちょうど与那国島を包囲するような格好になっていた。当初から良好なコンディションは期待すべくもない状況であり、いよいよ行動開始となった時、風が強くなり、絶望的になっていた。クラブハウスから見下ろす島の南岸には白い波が泡立って押し寄せ、とてもダイブできる状況ではない。
残念だが、作業は中止。他日を期する他になし。皆、仕方がない、洗濯でもするかと席を立とうとした時、よしまる荘の船長こと、和泉用八郎さんが言ったのだ。
「島の北側はないでますよ」
新川鼻の真下にある海底遺跡を見れば、事足りると思っている人は、そこだけを見ればいい。しかし、そこが、どういう場所なのか、大局的に見ておかなければ局部的な部位の判定はできないという場合がある。こんな時でなければ、反対側に回ろうという気にもなれない。遊んでいるよりはいい。ダイバーグループとROV(水中ロボット)作業グループは、それぞれのボートに分乗して現場に向かった。
しかし、ダンヌ浜から馬鼻先を経て与那国空港起きに至る海岸線は、他に見るところと同じく断崖絶壁になっているのであるが、その直下に始まる海底部分は遠浅の砂地になっており、ゆるやかな傾斜が続くだけの至って単調なものだった。一部、丸い形状の岩が集中しているとこすがあったのが気になったが、それは北牧場の近くだったと思う。
そう言えば、北牧場は私の持論、クロマンタ原理から見れば、宇良部岳から見れば北西方向の夏至の日没地点になっていてもいいはずで、何か、特別な場所であったはずなのだ。さらに言えば、久部良岳の真北に当たり、ちょうどディティグお嶽辺りで宇良部嶽から伸びてくる祭祀線と交差するのである。ただの牧場ではなかったようなのだ。
そういう意味では、その北側に連なる海中の砂地に丸い岩ばかりが集っているのは偶然ではないと思う。ところが、その時は私も若かった。「大したことではない」と早とちりして通過してしまった。後悔している。いずれ機会があれは、再調査させていただきたいと思う。
○大胆な方針の転換
それはともかく、前フリの話題が長くなってしまった。要は東崎堆である。どうして、誰も思いも付かない海底の山、見えない水中の山、しかも、素人には潜れない深さ(山頂部でさえも深さ50〜60メートル)の山などに焦点を当ててしまったのか。また、焦点を当てることができたのか。要するに、見えないものが何故、見えたのかということだ。
その理由はクロマンタ原理に基づく推理・復元ということになるのであるが、それは省略する。いろいろなところで、繰り返し繰り返し、何度も説明している。同じことを何度も繰り返すつもりはない。もちろん学ぼうという気持のある人には何度でも説明するが、聞く気のない人には何度説明しても猫に小判であり、お互いに無駄な試みになる。
ともかく、北の牧場沖の海底調査が終わった日の夜のミーティングは忘れられない。2階ホールに関係者全員が集まった。南側の大きなガラス窓に2枚の地図が貼り付けてある。1枚は『与那国町地形図』(1/10000)で、もう1枚は与那国島周辺水路図だ。双方とも2階ホールに集まったメンバーには、いつも慣れ親しんでいる地図だった。
その地図の一点を指さしながら、本間さんは大胆にも「明日は是非、この東崎堆にROVとチャンスがあればダイバーを投入し、それが沈んだピラミッドであることを証明する人工物が存在するか否か、試してみたい」と言い放ったのだった。皆、唖然とした。誰もが驚きの色を隠さなかった。
何故なら、明日は当然、新川鼻下の海底遺跡の探査をするものと思い込んでいたからだ。私自身、そう思い込んでいた。皆、そのつもりで来たはずだった。ハンコックさんだって、そのつもりで来たはずだ。そのためにミーティングを始めるのではないか? 皆、そう思っていた。唖然としている。シーンと静まり返って、言葉が続かない。
案の定、ハンコックさんが口火を切った。
「何故、東崎堆が沈んだピラミッドであると仮定することができるのか。理由は?」
すると、本間さんは驚くべきことを言い放った。
「それは鈴木さんに聞いて下さい」
(えっ? 何だって? おいおい、それはないだろう)
心の中で、そう叫びながら、やっぱり来たか、と言いながら、私は「水中遺跡のあるところには必ず、陸地にピラミッドがあり、巨大な磐座がある」ことを述べ、それがクロマンタ原理に即して配置されていることを説明した上で、与那国島にも適用できることを語り、推理する理由を述べたことを憶えている。具体的なことが見えなくとも見えるものがあるわけであり、私の場合、それを仮説というと言ったかどうか、はっきりとは記憶してはいないのであるが、説明したのである。
「新川鼻の海底遺跡は何か、目的があって作られた施設かもしれませんが、明確な思想が見えません。神殿などではありません。神殿には神殿としての思想がなければならないのですが、明確な思想が見えません。われわれの目に見えるのは、石伐り場としてあちらこちらが伐り取られた残骸だけです。問題はここから運び去られた石で組み立てられた本当の神殿が近くにあるということです。それが東崎堆だろうと」
○深さ80メートルなのに・・・
そういうことで、東崎堆を調査することになったのであるが、本間組のメンバーと私以外の方々には、何故、東崎堆なのか、詳しい理由は理解していただいているかどうか、判らない。と言うよりも理解していただいたかどうか、確認していない。従って、あれこれと難しいことを言うよりは、判った事実だけでも一つひとつ、明らかにして行きたいと思う。
前回は、東崎堆という堆は一つの水中の島でありながら二つの頂を持つのはめずらしいということを述べたが、きょうは深いわりには異様に明るく、水温が高いのではないかということを述べる。あれこれと言うよりは、わかった事実に基づいて、異常な事実を明らかにした方が理解しやすいからだ。
それはROVを投下した時、通常は深さ30メートル辺りを通過すれば、徐々に暗くなってくるのであるが、東崎堆の場合、送られて来た映像をみた場合、50〜60メートルを通過しても明るかったのが記憶に新しい。そして、80メートルに達した時、また驚きの声が上がったのだ。
「あっ、ハタタテダイだ!」
何のことやら、私には判らなかったのだが、通常は深さ30〜40メートルのところに生息している魚が深さ80メートルの海底を悠々と泳いでいたのだ。あり得ないことだ。そういう知識は私にはないし、まったく判らなかった野であるが、本間組のメンバーは海底作業を専門職としている。おそらく、深さ30〜40メートルの海底と同じように明るく、水温も高く、餌も豊富にあるのではないかということだった。そのどれ一つが欠けても生息できないわけである。
その内、水温が高いということに気が引かれた。これは黒潮がぶつかるというだけであろうか。ピラミッドがあるところ、必ず温泉があるというのも常識であり、温泉が沸いていても不思議ではない。周辺の水温を高くして植生を良くしていることもあるのではないだろうか。与那国のウミンチュー(漁民)は皆、東崎堆をいい漁場にしており、植生が良ければ魚も余計、集まる道理である。
東崎堆周辺は水温が高い。温泉でも出ているのかもしれない。岩と温泉はワンセットになっているのである。意外にも、これは図星かもしれない。そうでなければ、神殿にはならない。神殿なんて、そんなものなのだ。