ドクターいわくらの不・思・議・探・検
「「サンデー毎日」との出会い」
あきら@すずき
9月29日
○無鉄砲な話
あれは平成3年夏のことだった。
私は『日本超古代遺跡の謎 [日本のピラミッド]が明かす世界文明発祥の謎』(日本文芸社刊)の中扉に次のような一文を乗せて大見得を切ったことがあった。
アカデミックな舞台で問題にされようがされまいが、私は多くの在野研究者の方々とともに、独自に「ピラミッド+ペトログラフ+巨石文化遺跡」の総合的調査・研究を進めるつもりでいる。いや、「つもりでいる」というのは情けない言い方で、生涯を通じて継続され、やり遂げなければならない課題であると認識している。
戦後になって、まともにピラミッドに取り組んだのは「サンデー毎日」編集部の他になかったようであるが、その成果を無駄にせず、より大きな視点から整理しながら、調査・研究を再び始めなければならないものと考える。その意味では、本書を読み、関心を抱いた読者諸氏、先学の方々とともに協力し、共同の力で調査・研究を進めることができるようになれば幸いである。
私は大まじめだった。だから、私は「連絡先」として五反田事務所の住所と電話番号を印刷したのである。大した知識もなければ、調査経験もない。カネもなければ、人脈もない。ないない尽くしの男が大見得を切ったのである。何もない男に何ができるのか。いま思えば、無鉄砲な話であった。
○「サンデー毎日」の突飛で荒唐無稽な話
どうしてこんなことになったのか。答は一つ。馬鹿は私ひとりだけではなく、大々的に集団でアホをやる大馬鹿がいたということだ。まったくのところ、困ったことであった。どういう形でアプローチすることになったのか。いまとなっては思い出すこともできないのだが、ある週刊誌のコピーを入手したのがきっかけだったように思う。
それには次のような一文が載っていた。
わたしたちも最初はとっぴで荒唐無稽な話だと思っていた。日本全国に、エジプトのピラミッドに比すべき巨大な人工構築物がいくつも存在するなどと、あなたは信じられるだろうか。
しかし、日本各地に残る伝承や、奇怪な形の山塊・巨石を追ってみると、古代にもう一つの文明があると考えた方がはるかに自然である、わたしたちは確信するようになった・・・
・・・わたしたちは、知られざる古代文明の存在を信じている。この地球上には埋もれたままになっている太古の無数の謎がある。いまこそ、そうした数々の謎に光をあて、本格的な解明のメスを入れるべきときなのではないだろうか。
「古代の謎」特別取材班の署名があった。まさしくとっぴで荒唐無稽な話を大まじめに取り上げ、その謎の解明に全力を尽くすというものだった。これは当時の「サンデー毎日」編集部のマニフェストと言っていい。
これに対し、小松左京氏や手塚治虫氏ら各界の著名人は、大まじめに応援のメッセージを送るだけでなく、自ら顧問団なる「勝手連」を結成して調査活動に参加したのであった。その他、東大名誉教授平尾収氏、東工大教授森政弘氏なども次々に参加したものだから冒険談義も大いに盛り上がった。
若き日の小松左京氏は高らかに歌い上げた。
「古代史ロマンというのはアカデミックにやろうとしたら官僚主義で大変ですよ。シュリーマンは当時のヨーロッパ史学に対抗してトロイの遺跡を発掘したでしょう? ヘイエルダールの例もありますが、知的ベンチャーは必要ですよ」
在りし日の手塚治虫氏も身を乗り出した。
「地球全体が遺跡の墓場で、発見されているものの何十倍、何百倍もの遺跡が埋もれている。それを思えば古代史も、もっと自由に考えていいはずですよ」
○世界最大最古のピラミッド?
そして、最初に取り組んだのが皆神山だった。
1984年7月1日に発売された「サンデー毎日」特集記事のタイトルは読者の心臓をぶち抜く威力をもっていた。曰く――
「大追跡 日本に世界最大最古のピラミッドがあった!?」
皆神山は読者の皆さんがよく承知しておられるように台形の山である。周囲の山々から切り離され、孤立した場所で大地にどっしりと落ち着いている。いかにも重そうな印象を与える。海抜684。。すそ野からの高さはだいたい250。。最大長径はおよそ1450。である。
もし、これが人工のピラミッドだとしたら、世界最大にして最古のピラミッドであるというわけなのだ。話が大きい。もちろん、エジプトのナイル河畔に聳え立つ大ピラミッド群の内、最も大きいクフ王のピラミッドでさえも高さ146。、基底部の一辺が230。なのだから、大きくないわけではない。
そして、ここで書きあらわすことはしないが、皆神山には不思議な伝説伝承が無数にあり、曰く因縁のある山であることは論を待たない。それにも関わらず、それが立証不可能な話題に留まっているために「噂どおり、皆神山は人工の山だった」という確定的な結論を得るに至らないわけである。
しかし、わずかながら、自然の山と考えるには理解し難い状況があるという事実がないわけではない。
山頂部にあるミニ・ゴルフ場の経営者が井戸を掘るために山頂部をボーリングしたところ、内部は一枚岩ではなかったという証言がある。石と小砂利のようなものが混じった奇妙な組成をしていたため、ボーリングの歯が空回りして掘り進めず、ついには井戸掘りを諦めたということだ。
それだけではない。終戦直前の昭和19年のこと。陸軍参謀本部が本土決戦に備えて、皇居、政府機関、軍中枢機関を東京から疎開させるため、皆神山と白鳥山、象山などが候補地として挙げられた。しかし、皆神山だけは内部構造が崩れやすく、どこまで掘ってもごろた石が出てくるため、単なる食料庫に格下げになったという。
もう一つ。昭和40年夏から42年夏の間、2カ年にわたって頻発した松代地震の震源地が皆神山の中心部直下であったという事実も確認されている。中心部直下で地震が発生し、次第に周辺に広がって行ったというのだ。推定重量数億トンのごろた石が自分の重みで地殻を歪ませ、歪みを発生させ、その歪みが地震を起こす可能性がないわけではない。
こうした事実の積み重ねの中で皆神山を見直して行かないと実像が見えて来ない。「サンデー毎日」編集部は、そうした情報収集を積み重ねた後、大胆な調査計画を練り始めた。興味半分のミステリーごっこじゃないよ、というわけである。それについては、次回に報告する。
 (イラスト=松本零士)
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