歴史作家のひ・と・り・ご・と
「『茂在プロジェクト』の不思議な5日間」
あきら@すずき
11月26日
世の中には不思議なことがある。目には見えない世界の出来事なので、具体
的に論証することがなかなか難しいのであるが、行動を共にして体験した人は
簡単に理解することができる。なぜなら、その因果関係を体験的に実証するこ
とができるからである。
たとえば、つい先日のこと。私は茂在寅男先生と一緒に沖縄の石垣島から与
那国島を旅する機会を得たのであるが、その時、大変に面白い体験をすること
ができた。別に大したことではないと思えば大したことではないのだが、受け
取り様によってはとても含蓄深いことなのだ。
茂在寅男先生と旅をした経験
茂在先生という方は、東京商船大学名誉教授、東海大学元教授を歴任された
人物であり、電子工学の分野ではレーダーやジャイロ・コンパスの第一人者と
して知られ、まったく畑違いの古代海洋学や水中考古学のフィールドでも随分
前から鋭い問題提起をして関係学会で話題になった。
過去3〜4年間、沖縄・与那国島の水中遺構を中心として、失われた世界の
記憶を残す水中遺構や巨石遺構の探査活動を続けてきたわれわれも、とうとう
その道ではパイオニアとして知られ、数々の実績を重ねて来られた茂在先生に
会いたくなり、どうしても与那国島を案内しながら意見を交わし、先生の教え
をいただきたいと考えるようになった。
しかし、ただ話を聞くだけでは勿体ない。広く社会に還元できる様、結果を
纏めて出版したらどうか。ということで、沖縄の石垣島から与那国島を回りな
がらお話を伺うことになった。そこで関係者の皆さんにも趣旨を説明し、提案
させていただいたところ、満場一致のご賛同を得て早速、動きだした。この計
画をわれわれは便宜上、『茂在プロジェクト』と称することにした。
旅の仲間たち
沖縄旅行に飛び立った者、総勢9名。
総勢9名は2つの集団から成っており、1つの集団は茂在寅男先生を筆頭に
して4名。八木政幸さん(丸の内茂在会主宰)、高橋正昌さん(水中地中探査
技術研究会副会長)、そして、紅一点の佐伯良江さん(水中地中探査技術研究
会総務)である。残りは黄トンボのメンバー5名。翻訳作家の大地舜さん、三神たけるさん、日本エム・ディ・エム開発部の権藤正勝さ
ん、私、そして、事務局の綿貫信一さんだ。
総勢9名は、きっちり午前7時半。東京羽田空港の出発ロビーk番時計下に
集合した。ここからスタートだ。全員、何事もなく顔を揃えた時は本当に胸を
撫で下ろした。何せ茂在先生は米寿を迎えた人であり、すでに満年齢で88歳。
お一人で旅をするのは危険なことだった。しかし、涼しいお顔で現れた時は本
当に驚いた。これで旅の大半は成功したと思った。
民宿石垣の愛子さん
予定通り、JAJ901便は羽田を飛び立った。そして、那覇を経て、初日の宿泊
先であるシーマンズクラブ・ホテルに向かったのであるが、まっすぐ向かうの
も芸がない。道々、石垣市内の旧所名跡を見ながら行こうということで、鍾乳
洞を見学し、民俗資料館を見学し、川平湾内をボートで見物することになった
のであるが、この時からわれわれは数々の異変(?)を体験する。
茂在先生が16年前の出来事を語り始めた時だった。
「石垣島には思い出がある。昭和60年かな。私の開発したカラーソナーを使っ
て、どうしても見つからない沈没船を探索するのに成功してね、遺族の方々に
大変感謝されたことがある。船の名前を八重山丸と言ったかな」
その時、石垣市内の「民宿石垣」という宿舎に1カ月間も厄介になったので
あるが、宿舎の娘さんには大変お世話になった、と懐かしそうな表情で語った
のであった。名前を「愛子さん」というと教えていただいた。そこで、われわ
れはお二人の再会を実現すべく密談し陰謀を巡らしたのであるが、そんな小細
工は必要としなかった。茂在マジックが始まったのだ。
浦島太郎と乙姫様? えっ?
空港からマイクロバスに乗った一行は鍾乳洞に向かった。黄トンボのメンバ
ーは何度も石垣島に来ているが、一度も訪れたことがない。「そんなところが
あったっけ?」てなものである。だいたい観光旅行をしたことがないので、名
所旧跡を知らない。興味津々と鍾乳洞に向かう途中のことだった。
われわれが「是非、愛子さんと再会できるといいですね」とけしかけると、
茂在先生は「もう浦島太郎と乙姫様だからねえ」と笑った。ところが、間もな
く鍾乳洞に到着し、正面ゲートに掲げられた看板を見上げて唖然とした。なん
と、看板には「龍宮城鍾乳洞」と書いてあったのである。
シーンとなってしまった。そして一瞬の後、カメラを持つ者はシャッターを
押し、ペンを持つ者はペンを走らせた。あまりの偶然に驚きながら、その日の
体験を記録したのである。しかし、偶然は1度で終わらなかった。長い、長い
地下道をくぐり抜け、湿っぽい空気を吸いながら洞窟探検を終えて地上世界に
戻り、再び車上の人となった時だ。
あれ? ここが民宿石垣ですよ
「次は民俗資料館に向かいます」
綿貫さんの案内で市内に入った時だった。茂在先生は「うん、こんな感じの
ところだったな。民宿石垣は・・・」と言っている間もなく、「あれ?」とい
うので聞いているとマイクロバスはどんどん走り、なんと民宿石垣の真ん前を
走り抜けた。これはわれわれの密談と陰謀の成せる業ではない。偶然なのだ。
まったくの非作為的な結果なのだ。
茂在先生、ご本人もびっくり。「あれ、どうしたの? これはどうなってい
るの」と興奮気味。バスを停め、少々後退して貰って、われわれも門構えから
縁石続き、玄関、屋根構えなどをしげしげと観察した。うむうむ。なかなかい
い構えをしている。私は心底、そう思った。いい感じだ。先生も昔を思い出し
て「少しも変わっていない」と感動の声を上げた。
「では、先生。後でゆっくりと・・・」とお勧めして、後ろ髪を引かれるが止
むを得ない。バスを発進させた。しかし、神様の悪戯としか、言い様がない。
バスは一方通行の道路を回りに回り、民俗博物館の駐車場に停まった時、また
もや唖然としてしまった。民俗資料館は民宿石垣の近所だったのだ。道路1本
を挟んで、反対側にあったのである。
興奮する綿貫さん
こうなると偶然とは思えない。われわれは何が何でも愛子さんとの再会を画
策しなければならなくなった。この時、隠れ隠密行動を開始したのが綿貫さん
だった。シーマンズクラブのスタッフとも連絡を取りながら“愛子さん探し”
に全力を傾注し、ついにアポイントを得ることができた。
郷土料理の研究家として活躍中の愛子さん、忙しくて時間がとれない。しか
し、どうやって時間の都合を付けたものか。2日後、与那国旅行から石垣島に
帰って来たらデートしましょうということになった。綿貫さんの顔が誇らしく
輝いているように見えた。自らキューピットの役目を買って出た以上、全うし
なければならない。無事、やり遂げた満足感があった。
踊り狂った舟蔵の夜
翌朝から仕事が始まった。シーマンズクラブのフランスレストラン「ジョゼ
フィーヌ」を借り切って対談開始。室外のテラスにセットされた白いテーブル
を囲む形で、それぞれ思い思いに席に着いた。
三神さんの口は滑らかに回り始め、大地さんも要所要所を外さない。当然の
ことながら、茂在先生は「待ってました」とばかり、黄トンボのメンバーから
飛び出す質問を受けては返し、返しては受ける。高橋さんと佐伯さんは用意万
端。録音、撮影スタート。八木さんは冷静に成り行きを見ている。
困ってしまったのは私である。風邪でむせかえり、繰り返し、繰り返し襲っ
て来る頭痛と悪寒に苛まれて不快感は絶頂に達していた。チリ紙では足らず、
ハンカチで鼻をかむ羽目になった(汚い話ですみません。でも、皆さんも経験
があるでしょうから、失礼を省みず、書いています)。
ところが、ここでまたもや、奇跡が起こった。
夜になって、石垣市内の料亭『舟蔵の里』を訪れた。郷土料理に舌づつみを
打ち、オリオン・ビールをいただいた。なんか、覚えきれない料理が出された
のであるが、私の頭は全然、記憶できない。とにかく、おいしい料理だった。
それははっきりしている。間違いない。
しかし、これだけは覚えている。途中で飲み物を「せかく沖縄に来たんだか
ら」と言って度数60度の泡盛に切り換えた時だった。もちろん生(き)のまま
である。側に置いた水の世話にならず、グッと煽って飲み込んでしまった。つ
い飲み口がいいので、スゥーッと入る。ところが、喉元を落ちて行く時の感覚
に異常があった。熱い! 気持ちいい! 焼ける!
「あれ? 喉が楽になったぞ」
一人で喜んでいると、余興で入っていただいた布袋さんのような三線演奏の
芸人さんに乗せられて、つい踊り狂ってしまった。後のことは知らない・・
与那国のオリオン・ミステリー
結局、石垣の夜の宴会で私の風邪は完全に治ってしまった。オリオン・ビー
ルで始まり、泡盛で解決。「こんなことってあっていいのかな」と疑う私だっ
たのですが、事実は事実。素直に感謝して与那国に飛び立った。
石垣空港を飛び立ったわれわれが与那国空港に降り立った時、わずか9名の
一行を迎えるのに大型バスがどんと停車している。これには驚いた。どういう
こっちゃ。何か、この意味を悟らなければ、と思っているうちに今回、世話に
なるよしまる荘に到着した。船長の和泉用八郎さんと詰めの打合せをしながら
昼食の八重山そばをいただいた。
そしてたとえ海中に潜れなくとも、クルーザーで沖合に出て海上から与那国
島全体を俯瞰し、その特徴を掴んでいただく一方、グラスボートに乗り換えて
海中を展望していただくようにした。やはり、現場第一! 現場感覚を掴んで
いただくことが対談の前提になる。われわれは張り切った。
よしまる荘の夜が明けた翌日、われわれはシーマンズクラブ与那国に移動し
た。2階のフロアを会場にして対談が始まった。与那国島の水中遺構と陸上遺
構の説明があり、新しい視点からアプローチするとこんな事実が見えてくる、
ということで、私から茂在先生に説明させていただいた。その時、またもや、
奇跡が起きたのであるく。
私が島の西寄りにある久部良山にある巨大な三つの岩、ミミ岩について説明
したところ、三神さんの口から思わぬ言葉が飛び出した。
「ミミ岩はオリオン信仰と関係はないですか」
エジプトの3大ピラミッドとナイル川がオリオン座と天の川の関係を地上に
写し絵にしたものだという「オリオン・ミステリー」が話題になったが、日本
でも住吉大社などの「三神信仰」に見られる通り、同じ発想が見られる。この
三神信仰と同じ思想がミミ岩信仰に見られないか、オリオン座を地上に引き写
したものではないだろうか、という質問だった。
これには私もビックリした。瓢箪から駒である。
与那国の奇跡
与那国島は四国をそのまま小さくしたような恰好をしている。四国のミニチ
ュア版と言っても言い過ぎではない。つまり、与那国は東西に細長く、東端に
は東崎という岬があって、「あがりざき」と読む。西端には西崎という岬があ
った、これを「いりざき」という。
私は元々、その意味を太陽が上がる岬、太陽が水平線の彼方に入る岬、と理
解していた。しかし、オリオン・ミステリーの指摘を受けた時、まったく見方
が変わってしまった。オリオン座も真東から上り、真西に沈む。オリオン座は
海人族が特に重視した星。それが与那国島に残されているとしたら、この島は
やはり、海人族の根拠地に相応しい。
私は昨年秋の特別調査以来、あまりの見事さ、あまりの巨大さに我を忘れ、
同行してくれた世一秀雄さん、田中正勝さん、そして、私の妻にも「これはた
だ者ではない」と強調しながら意味を解読できず、説明できず、もどかしい思
いを抱えたまま、今日に至っていた。オリオン・ミステリー! これならば、
謎を解明できる。説明できる。いい仮説だ。そう思った。
この時、私は思ったのだ。海人族の謎は海人族でなければ解明できない。神
人族の大親分、掛け値なく海の男である茂在先生が与那国島に姿を現したから
こそ、海の神様が三神さんの口を通してわれわれに謎を解く鍵を与え、また、
真の意味を教えて下さったのだ、と。
こうなると、与那国島の水中遺構探査も見直しを図る必要が出てきた。
しかも、ミミ岩だけではない。島全体、至るところに巨石文化の跡が極めて
明瞭な形で残されており、島全体が一つの神殿構成を形作っていることが明ら
かになっており、東崎の沖合に沈む山、東埼堆も沈んだピラミッドであった可
能性が強くなってきた。いよいよ確信が増して来た。
それも明確な調査データに基づく判断結果として出されている。まだ、どこ
にも発表していないが、おいおいと事実関係を明らかにしながら与那国島の秘
密を解明して行きたいと思う。今回の沖縄旅行は茂在先生のお陰でさまざまな
発見をさせていただいた。改めて感謝したい。
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