歴史作家のひ・と・り・ご・と
「『茂在プロジェクト』の “おっぱい山”発見記」
あきら@すずき
12月10日
あれは与那国島に渡り、再び石垣島に戻った時のこと。明日は東京へ帰ると
いう11月2日の夜、事実上の打ち上げの夜のことだったと思う。少々、お酒が
回ったのであろうか。にこにこ顔のエビス顔になられた茂在先生が、いくらか
お顔を赤らめながら言った。
「いやあ、鈴木先生。いいですね、シーマンズクラブの若いスタッフは・・・
特に気負いなく、男性スタッフと肩を並べて働く女性スタッフの姿が印象に残
りました。いいですね。すばらしいですね」
大々先輩の大々先生に「先生」なんて言われて恥ずかしがりもせず、対等に
応答している立場ではないのであるが、私自身も先生と同じ印象を感じ取って
いたので、思わず、「はい。私も同感です」と相槌を打ってしまった。それは
米寿を迎えた老人の言葉とは思えない率直な表現、そして、何よりも気取りの
ないお人柄に共感し共鳴を覚えたからでもあった。
先生は何を言いたかったのだろうか。
○川平石崎の双子山
10月31日(水曜日)朝。いよいよ行動開始となった最初の朝のこと。
茂在先生、そして、八木、高橋、佐伯の皆さんの後、われわれ黄トンボの面
々も大地舜さん、三神たけるさん、そして、私(あきら@すずき)、事務局の
綿貫信一さんがシーマンズクラブホテルのロビーに勢ぞろいした。ゴンちゃん
(権藤正勝さん)はまだ到着していない
歩いてもいい距離であるが、マイクロバスに乗って底地ビーチに出た。シー
マンズ所有のクルーザーに乗って沖合に出て、海上から陸地を見てみようとい
う趣向であるが、その企画を発想した理由はシーマンズクラブ・ホテルの北西
に見える川平石崎の突端にある二つの山--私は双子山と呼ぶ--を海上
の沖合から見てみたかったからだ。
初めて石垣島を訪れた3年前の春から、ずっと気になって仕方がなかったの
がこの山なのだ。あの時、バイクを借りて麓にたどり着き、山の斜面を見たと
ころ、土器片が散乱しているのを見て肝を潰した。後でG・ハンコックさんと
一緒に訪れた時、彼は「興味深い」と述べただけで、他に具体的なコメントは
何もなく落胆させられた。これは「一人でやるしかない」と思った。
○2組の双子山
改めてじっくり見てみたい。ずっとそう思っていたのであるが、その機会は
訪れず、今日まで来てしまったわけであるが、陸上からの調査活動はしばらく
置くとして、とりあえず海上から俯瞰する機会を与えていただいたのは有り難
い。陸上の行動ならば比較的に簡単であるが、海上に出るのはいつでもできる
ことではない。その意味ではチャンスであった。
しかも、底地ビーチに出ると我々を迎えてくれたのは、可愛いバンビのよう
な小柄な体のキャプテン谷杉七重さん。ラッキーだった。こんがり焼けた素肌
を紺地のTシャツ(シーマンズクラブのオリジナルTシャツ)で包み、ブロン
ドのような茶髪のショートカットを風になびかせながら操舵室に立つ。これだ
けでも旅気分は一気に高揚する。と誰かが言っていた(?)
その谷杉キャプテンの隣に席を占めるのは当然、茂在先生。喜色満面。二人
はあちらこちらと指さしながら言葉を交わしている。海の男、茂在先生が船に
乗れば機嫌が良くなるのは当然であるが、それが女性のキャプテンとなれば言
うことなし。時折、八重歯を覗かせて笑う谷杉キャプテンとはたちまちのうち
に意気投合してしまったらしい。
その間に割って入り、邪魔をしたわけでもないが、どうしてわざわざ沖合に
出たのか、茂在先生に双子山の説明をさせていただいた。
「シーマンズクラブに来る途中、入り口にも双子山がありまして、どうも私の
カンでは、その山がこちらの山と一対になっているのではないかと思います。
あっちも双子山、こっちも双子山です。しかも、きっちり東西に並んでいるん
です。偶然でしょうか。不思議なことです」
「ふむ。東西線上に並びますか」
「はい。同じ形の山が2組あるわけです」
○2組ワンセットのピラミッド
もっと近づいてみたいと思ったので、谷杉キャプテンに「あの山にギリギリ
まで接近して貰えませんか」とお願いした。これ以上、接近できないというと
ころまで接近し、近くから双子山を見ていただいた。
結局のところ、言いたいことは次の通りである。
- 双子山は自然の山ではなく、祭祀の山(ピラミッド)であること。海上からは見えないが、山頂部に大きな磐座(イワクラ)があること。もちろん、麓にも巨大なイワクラがあり、それぞれ対応している。
- 山の斜面には赤い土器片が多数、散乱しており、曰くあり気な礫状の岩石や貝殻片なども多数、見られる完全な遺跡であること。発掘調査をしなくとも表面観察をやっただけで大きな成果が上がる見込みであること。
- シーマンズクラブに向かう途中、川平集落にも同様のスモール双子山があり、こちらのビッグ双子山と似たような恰好をしているが、そこにはウタキがあり、貝塚遺跡になっていること。しかも、2つの双子山は東西一直線上に並んでいる可能性があること。
- 明治37年、鳥居龍蔵博士が一度、概略を調査しただけで、その後、詳しい調査は誰もしていないこと。
○山立てに使うおっぱい山
では、双子山を毎日、眺めているシーマンズクラブの人々は、どう認識して
いるのだろうか。突然、キャプテン谷杉に聞いてみたくなった。
「どうですか。あの山をご覧になって」
すると彼女は意外にも「ああ、おっぱい山ですね」と軽く言い放ったのだ。
随分、気安いではないか。そして「毎日見ています」と語り、「私に限らず、
底地ビーチを出入りする時は皆、山立てに使っている」と言ったのだ。これは
重要発言であった! 山立てに使っている。これは歴史的証言と言ってもいい
ように思う。おそらく、キャプテン谷杉だけでなく、この土地に暮らす人々の
間では昔々から山立てに使われて来たはずなのだ。
山立てとは、目に見える山の形によって海上にある自分がいったい、どこに
いるのか。自分の居場所を確定する作業のことで、山の形は見る場所によって
変化する。そして、変化する形に応じて距離と方角を知るのである。その山立
てに使うとすれば、極めて日常的で身近な感じの山になっていることは疑いも
ない。私は即座に双子山改めおっぱい山と称することにした。
このことについて茂在先生に相談をさせていただいた。
すると、先生はにこにこ顔で「いいところに気が付きましたね。皆、助平な
話としてしか、受け取っていないでしょうが、これは極めて民俗的なケースス
タディで本質を突いています」と賛成していただいた。
○おっぱい山調査への展望
これは是非もないことになった。
今回、茂在プロジェクトで石垣島を訪ねるまではまったく考え及ばなかった
ことであるが、おっぱい山は双子山で、川平石崎の突端にある山だけでなく、
シーマンズクラブに向かう入り口の集落、川平集落にも同じ形の山があった。
同じ恰好の山が2組あるわけで、双方を同時に関係付けて見て行かなければな
らないことが判っただけでも大戦果であった。
いずれ、黄トンボの仲間たちとも十分に相談を重ね、十分な予備調査と準備
行動を重ねた後、本格的な調査を手掛けたいと思うのであるが、まったく予定
していない成果であっただけに喜びもひとしおであり、これも「茂在効果」の
一つと思っている。
来年になったら、まずはGPSを利用した広域的な山と山、遺跡と遺跡の位
置関係の調査とか、高度と形状の測量と記録を重ねた上で、いろいろなシミュ
レーションを重ねた後、細部に入って行くようにしたいと考えている。もう私
の頭には大方の情報がインプットされているので、行動を待つのみ。
尚、双子のおっぱい山については、市販されている図書では『新日本教育図
書刊/石垣島/白井祥平著』の38頁に数行紹介されているだけで、いまのとこ
ろは何の手掛かりもない。私が提供する情報がほとんど唯一のはずである。他
にあれば、教えていただきたい。
あらゆる沖縄関係書籍を集めて読んで見たが、いずれも見当たらない。詳し
い情報提供を期待している。協力をお願いしたい。
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