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歴史作家のひ・と・り・ご・と
「『茂在プロジェクト』とオリオン・ミステリー」

あきら@すずき
12月24日

 人間、何となく判っているような気になっても全然判っていなかったことが 後になって判ったり、全然判らず、暗中模索している内に突然、視界を妨げて いた霧が晴れるようにパァーッと見えたりすることがある。
 今回、『茂在プロジェクト』の沖縄旅行にお伴して与那国島に渡り、シーマ ンズクラブ与那国のリゾートホテル2階フロアーで対談した時のことだ。与那 国島の水中遺構とはいかなる問題なのか、突然に理解することができた。自分 でも驚くことだが、それは突然にやって来たのだ。
 黒潮の流れとオリオン座が与那国島で繋がったのである。さて、いったい、 それはどういうことなのか?

○水中遺構とは何か
 与那国の水中遺構と言えば、それは木村政昭教授(琉球大学理学部)を中心 とする研究グループによって長年、調査されてきた「与那国島海底遺跡」のこ とである。いわゆる「イセキポイント」に沈む巨大な岩のことだ。
 いまさら紹介する必要もないであろうが、一応、前提的に確認しておくと、 とてつもない大きさの岩である。およその大きさを数字で示すと「長さ 120m ×幅40m ×高さ20m )となる。それが島の南岸、やや東寄りにある新川鼻とい う岬の真下に沈んでいるわけなのだ。
 この岩について「自然にできた」などと言う地質学関係者がいるが、そうい う方は、実際に現場に体を運び、自分の目で状況を確かめた後に発言している のか、甚だ疑わしい。やはり、実際に見てから発言すべきだ。

○水中遺構の特徴について
 そういうことで、水中遺構の特徴について確認しておきたい。参考資料とし て、木村教授の「与那国島海底遺跡調査報告」を使わせていただく。
「1、水中遺構は断層地形ではない。
 2、水中遺構の階段状の状態はほぼ直角を有している。浸食でできたのであ   れば角が取れてよいのであるが、取れていない。
 3、破断面に人工的打痕と思われる凹凸がしばしば認められる。それに対応   して、元の石を加工する際、剥がれてできたものと思われる。
 4、平坦面や凹所の形状を見ると自然の浸食や重力だけでは形成されない地   形が一部認められる。
 5、柱跡の疑いのある地形が確認された。
 6、イセキポイントの足下には、石がきれいに片づけられたようになってい   て、通路のようになっている場所が場所が多く認められる。そしてポイン   トと反対側に石が片づけられたように積み上げられている。道と石の境界   部は直線的で、石片は四角や五、六角形に成形されたように見える。また   相方積みと思われる擁壁が見られる。
 7、ポイントの正面(南側)に階段がある。後ろ側(北側)には陸上の地壊   より渡れる橋状の石積みが見られる。
 8、イセキポイントと同様な石造構築物が陸上にも見られる。
 9、イセキポイントの全体地形は、首里城や中城城のような沖縄の大型グス   ク(城)と酷似し、作製目的・用途が見えてきた」
 どうやら断層によってズレてできた地形ではないことを言いたいらしい。

○周辺の異常な事実
 水中遺構の周辺においても異常な事実がたくさん見つかっている。
 いろいろなところで何度も発表されているので、改めて書くこと自体、無駄 なことに思えてくるが、一応は通過点として確認しておきたい(時間があった ら是非、大地舜氏のホームページを覗いて実感して欲しい)。
 水中遺構と立神岩の間がミステリー・ゾーンになっており、ここに通常はあ り得ない状態が密集している。南東方向の沖合いにスタジアムと呼ばれるダイ ビング・スポットがある。グランドのように広い平坦な土地を囲むように観客 席のような土手が連なり、所々に立派な階段が着いている。
 また立神岩方向に進めば、立神岩自体、怪しい要素を多分に備えた岩である が、その足下や半径100mの範囲内に奇妙なモニュメントのような石造物が見ら れるから不思議である。直方体の角の部分を利用して目玉や鼻、口を刻んで人 面を形作った人面石。近くに横たわる棺桶石と呼ばれる、スフィンクスの足の ような直方体の巨石。魚を表すと思われる井戸桁状の模様(30┰大)を刻んだ 岩、ご神体岩(現在崩落)などが見つかっている。
 こういう異常な事実が他の場所ではあまり見られず、どうしてこの場所だけ に集中しているのだろうか。

○南岸に集中する理由
 おそらく、その理由は島の南岸の突端部の沖に位置していることと無関係で はないと思う。これは、与那国ダイビングサービスの和泉用八郎船長に聞いた ことであるが、水中遺構の沈む場所は、ちょうど北上した黒潮が思い切り与那 国島にぶつかって左右に分かれる場所、つまり、東西に分岐する場所になって いるということだ。
 どういうことか。フィリピン諸島の東岸に激突した太平洋還流が黒潮という 束になって北上し、ある種の川のような流れとなって北上。台湾東岸部を滑り 抜けるようにして北上すると与那国島にぶつかるということだ。しかも、与那 国島は東西に細長く、南北に走る黒潮に対して壁のように立ちはだかることに なるので黒潮を土手っ腹に受けることになる。
 従って、いまも与那国の南岸は切り立った崖っぷちの崩落が激しく、どんど ん後退している。ここまで来れば、カンのいい読者は気づくはずだ。そうなの だ。あの水中遺構は黒潮の激突する衝立代わりの防波堤であり、その裏側(北 側)の部分、島と水中遺構の間は港になっていても不思議ではない。表に飛び 出せば、西へ向かう潮の流れに乗るか、東に向かう潮の流れに乗るか、どちら かに乗れば、思い通りに目的地へ向かうことができる。

○黒潮ハイウェイ利用者の第一通過点
 もし、与那国にぶつかる黒潮に乗って北上する人々がいたとしたら、インド ネシアか、ミクロネシアを出発する人々か、あるいはインド洋を越えて東アジ ア海に出た航海民たちが黒潮を利用するだろう。
 フィリピンも台湾も通過して北上を続けたとすれば、彼らは間違いなく与那 国島に来るはずだ。黒潮の流れが、そうなっているのだ。時計回りの太平洋還 流がフィリピン、台湾にぶつかり、圧縮され、束になって一本の川になれば、 流れはきつい。そのまま与那国島にぶつかる。
 その時だ。われわれは遠い昔、いまの与那国島とは違う与那国島であったこ とをすでに知っている。いまの水平線を80〜100m程、下げた状態を想像して欲 しい。水平線はかなり後退する。そこで出現するのが水中遺構であり、スタジ アムであり、人面石であり、その他、諸々の水中遺構を中心にして周辺に沈ん でいる遺構群である。それらが悉く水上に姿を現す。
 そればかりではない。数人の仲間と私以外は知らないことであるが、与那国 島の東へ数キロの水中に高さ80m 程度の東埼堆(実は水中ピラミッド)が水面 下50〜60m に山頂部を覗かせて沈んでいる。それが現在の与那国島と大小一対 の島となって連結された状態で洋上に浮かび上がってくる。
 大与那国島と小与那国島が連結した状態。それは、あたかも前方後円墳の姿 にも似た形となって目に写るのではないだろうか。従って、黒潮ハイウェイに 乗って北上する者は、必ず第一通過点となる与那国島という巨大神殿に上陸し 参詣してから日本列島に向かったのではないかと思われる。

○数年にわたる調査の結論
 与那国が神殿だったという証拠はあるのか?
 ある。ないわけはない。ありすぎる程、ある。しかも、あることは知られて おりながら、あまり注目されていないというか、真の価値が理解されていない ように思う。ほとんどの人々が水中遺構だけに目を向けている。
 大小一対の大与那国島神殿というスケールの大きな視野から展望するのでは なく、南岸沖に沈む水中遺構だけに目を奪われているようでは視野が狭すぎる と言わなければならない。与那国問題は、そういう小さな次元で語られるべき ものではない。もっと複雑で、スケールの大きな内容が隠されている。
 改めて見直す必要があるように思われる。

○オリオン・ミステリー
 なぜ、与那国島は東西に細長いのか? なぜ、東に東崎(あがりざき)と呼 ばれる岬があり、西に西崎(いりざき)という岬があるのか。単純に東だから 東、西だから西と言うことではない。あるいは太陽が東から上り、西に沈むか ら、というのも一知半解でしかないらしい。
 それは、つい最近になって気づいたことである。冒頭に記した通り、シーマ ンズ・クラブ与那国で茂在先生と対談中のことだった。
 私が久部良岳の山頂部に屹立する巨大な三角岩3体の形状と大きさ、位置、 そして、岩の真上に掘られた巨大な目玉のペトログリフ(古代岩刻文様)につ いて説明したところ、それが「ミミイワ」と呼ばれていると語り、「耳岩」か 「三つの岩」か、どちらなのかが判らないと言った時だった。
 同じく対談中であった三神さんが「それはオリオン信仰で解けるのではない か」とつぶやいた。瞬間、あらゆる謎が頭の中で氷解した。日本各地至るとこ ろで見たことのある三つ石の謎も一度に氷解した。日本国中、至るところに見 られる三つ石と同じく、与那国島にもあった。それも超特大型の三つ岩で、目 玉が掘り抜かれた三つ岩であった。
 東崎はオリオン座の上がる岬であり、西崎はオリオン座の沈む岬だったので はないか? オリオン座は海人族が特別に重要視する冬の星座であるが、それ が黒潮ハイウェイ利用者が通過する第一関門である与那国島にあったことは頷 けることである。逆になければ変なことになる。

○台湾との関わり
 ところで、ミミイワは、聞くところによれば、台湾の高尾市にある旧高尾神 社境内にも同じようなミミイワがあると聞いた。まだ確認していない。なぜ、 そんなに飛び離れたところにある2つの場所を結ぶ巨石ミミイワが存在するの か。詳しいことは判らないが、大急ぎで追求してみたいと思う。
 また、もう一つ。どんな関係になるのか。予測はできないが、与那国は断層 が複雑に入り組んだ落ちつかない島であることとミミイワをはじめ多数の巨石 群がどういう繋がりがあるのか、水中遺構を追求する地質学者が誰も触れない のはどういうことだろうか。これは謎である。
 私の経験から言えば、巨石文化遺構、イワクラ群は必ず断層地帯や逆断層地 帯などの地盤の不安定なところに集中している。最も地球の運動エネルギーが 発生しやすく、電気的変化なども起こしやすいところだ。判らないことが多す ぎるが、これからおいおいと解明して行きたいと思う。

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