kitombo.com | りんちゃん | 2007年9月24日 
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りんちゃん
「りんちゃんのお正月」

網中 裕之
9月24日

 とうとう冬がやって来た。
 二学期に入ってまもなく、りんちゃんは山の小学校に通うことになった。一年生から六年生まで合わせても百人しかいない、小さな学校だった。おじいちゃんの家からは歩いて四十分もかかる。最初のころは、学校へ行って帰ってくるだけでくたくたになった。
 でもやがて学校にも慣れて、ともだちもたくさんできた。りんちゃんはすぐに人気者になった。海の話をしてあげると、クラスのみんなはとても喜んだ。ちょっぴり自慢だったけど、そのたびに海岸小学校を思い出してしまう。それが悲しかった。
 十二月の半ばになると、山の小学校は冬休みに入る。雪がたくさん降るから、冬休みが他の学校より長いのだそうだ。その代わりに夏休みが短い。同じ日本なのに、何だか不思議な気がした。
 学校が休みになると、りんちゃんはすることがなくなった。仲良しのともだちの家まではとても遠い。それに、一人で雪道を歩いていくのはむりだった。家には妹のまいちゃんがいるけれど、やっぱりすぐに飽きてしまう。たくさんのともだちと遊ぶことが、りんちゃんは大好きだった。
 おかあさんは仕事に出掛けていて、毎日夕方にならないと帰ってこない。おじいちゃんとおばあちゃんはとてもやさしいけど、家の中でじっとしていると、ついついおとうさんのことを思い出してしまう。学校があるときはそうでもないけど、家にいるとたまらなくおとうさんに会いたくなる。
 夏休みに車で送ってきてもらった。それ以来おとうさんとは会っていない。何度か電話がかかってきたみたいだけど、おかあさんは電話を代わってくれなかった。自分から代わってとは言えなかった。言ってはいけないような気がしたからだ。
 「おとうさんは今、どこにいるの?」
 あるとき、りんちゃんは思い切っておかあさんに聞いてみた。
 「海のそばにいるって言ってたわよ」
 「海って、りんちゃんたちのお家のこと?」
 「りんちゃんの海じゃないわ」
 「じゃあ、どこの海?」
 「きっと、おとうさんだけの海よ」
 「おとうさんは元気なの?」
 その問いに、おかあさんは答えてくれなかった。りんちゃんもそれ以上は聞こうとはしなかった。聞いてはいけないような気がした。
 毎晩、眠るときはおとうさんのことを考えた。お布団の中でおかあさんのにおいを嗅ぎながら、おとうさんのにおいを思い出そうとした。せめて夢の中ででも会いたいと思ったからだ。

 クリスマスが近づいたある日、おかあさんがりんちゃんを部屋に呼んだ。
 「りんちゃん」
 「なあに、おかあさん」
 「りんちゃんは、おとうさんに会いたい?」
 あまりにも突然だったので、どう答えていいのかわからなかった。おとうさんには、もちろん会いたい。でも、それでまたおかあさんと離れ離れになるのもいやだ。
 「おかあさんも、まいちゃんも一緒に会えるの?」
 「それはまだ分からないの。とにかく、りんちゃんがみんなの代表として、おとうさんの様子を見てきてほしいの」
 「また、おかあさんと離れちゃうの?」
 「そんなことはないわよ。おかあさんは絶対にりんちゃんを放さないから、心配しないで」
 でも、おかあさんとまいちゃんが出ていった日のことは忘れられない。ほんのちょっぴりだけ、りんちゃんはおかあさんを信じることができなかった。考えれば考えるほど、何も分からなくなってきた。自分で答えを出すのが怖かった。誰かに決めてほしかった。
 「りんちゃんの好きにしていいのよ」
 もう一度、おかあさんが聞いた。
 「行く」
 とだけ、りんちゃんは答えた。おとうさんが心配だった。おとうさんの手の怪我がとても気になった。そのことだけしか頭に浮かばなかった。
 「わかったわ」
 とおかあさんは言って、一枚の封筒を手渡した。中には電車の切符が入っていた。
 「明後日の電車に乗りなさい。三時間乗れば東京に着く電車よ。東京駅にはおとうさんが迎えにきてくれているから。大丈夫?
 一人で行ける?」
 「うん」
 切符を握りしめたりんちゃんの頭を、おかあさんはやさしくなでてくれた。なぜだか涙があふれてきた。

 出発の日。朝から雪が降っていた。
 りんちゃんは分厚いセーターとコートを着込んで、足には赤い長靴をはいた。冬になって買ってもらった、お気に入りの長靴だ。
 駅までは、隣りに住んでいるおじさんが、軽トラックで送ってくれた。座るところが二人分しかないから、りんちゃんはおかあさんの膝の上に座った。抱きしめてくれているおかあさんの手を、駅に着くまでずっと握っていた。
 駅に着くと、もう電車がホームに入っていた。改札口の前で、おかあさんはもう一度手を握って聞いた。
 「ほんとうに一人で平気?」
 「うん。だって、東京に着いたらおとうさんがいるもの」
 「ちゃんと、電車を降りたところでじっと待っているのよ。困ったことがあったら、何でも駅員さんに聞くのよ」
 「うん。だいじょうぶだよ。ちゃんと帰ってくるから、待っててね」
 「とにかく向こうに着いたら電話をしてね」
 「わかった。おとうさんの海がどんなところか、ちゃんと教えてあげるね」
 大きなリュックを背負って、りんちゃんは一人で電車に乗り込んだ。いちばん出口に近い、窓際の席に座った。すぐにトイレにいけるように、おかあさんがそうしなさいと言ったからだ。
 電車がゆっくりと走りだした。りんちゃんは窓におでこをぴったり付けて、おかあさんのほうを見た。雪の中でおかあさんが大きく手を降っていた。やがてその姿は小さくなって、とうとう駅までもが見えなくなった。
 急にりんちゃんは悲しくなってきた。はじめての一人旅の不安。おかあさんと会えなくなるような心配。どうして、一人で行かなくちゃいけないんだろう。どうしてまいちゃんも行かないんだろう。いくら考えてもわからなかった。
 コートを着たままで座席に座った。ひざの上にリュックを抱え、そこに顔をうずめて目をつぶった。夏の海が目にうかんだ。海岸小学校の運動場が浮かんだ。山の小学校の教室も浮かんでは消えた。自分が今どこにいるのかもわからなくなってきた。そうしていつの間にか、ぐっすりと眠ってしまった。
 どれくらい眠ったのだろう。目を覚ましたときには、電車の中は人がたくさんになっていた。りんちゃんの隣の席には、ちょうどおかあさんくらいの女の人が座っていた。
 コートを着たままで寝ていたせいか、身体にはうっすらと汗をかいていた。「電車の中ではコートは脱ぐのよ。でないと降りたときにカゼをひくから」というおかあさんの言葉を思い出し、慌ててコートを脱ごうとした。でも、大きなリュックが邪魔をして、なかなかうまく脱げない。りんちゃんが悪戦苦闘していると、隣に座っていたおばさんが後ろからすっと脱がしてくれた。
 「ありがとうございます」
 りんちゃんは少し緊張気味にお礼を言った。
 「いいえ、どういたしまして」
 おばさんがニコッと笑ってくれたので、心がとても落ちついた。
 「一人で乗っているの?」
 おばさんがやさしく話しかけてきた。
 「はい」
 「どこまで行くの?」
 「東京です」
 「まあ、一人で東京までなんて、偉いわね」
 「でも、東京におとうさんがお迎えに来てくれているの」
 「そう。ならば安心ね」
 りんちゃんは何だかほめられたような気がして、とても嬉しくなった。おとうさんが来てくれているということが、とても自慢だった。そして、あと一時間で東京に着くとおばさんは教えてくれた。窓の外を見ると、雪はまったく降っていなかった。

 間もなく東京に到着します、というアナウンスが聞こえた。りんちゃんははじかれたように立ち上がった。あわててコートを着ようとすると、隣のおばさんが「すぐには着かないから、もう少し座っていればいいのよ」と言ってくれた。
 でもりんちゃんは、ドアのところに立って一番に降りようと決めていた。たくさんの人にまぎれて、おとうさんが見つからなかったらたいへんだと思ったからだ。「ありがとうございました」とおばさんにぴょこんと頭を下げ、ドアの前まで行った。外を見ると、大きなビルがいっぱい見えた。
 何だか急に胸がドキドキしてきた。初めて来た東京のせいか、それともおとうさんにもうすぐ会えるからか。りんちゃんはのどがカラカラになった。リュックの中から飴玉を一つ取り出し、口に放り込んだ。それで少しだけ気持ちが楽になった。
 電車がスピードを落として、やがてホームに滑り込んだ。りんちゃんの後ろには、たくさんの大人が並んでいた。それがとても怖かった。「はやく止まってください」と神様にお願いした。
 やっと電車が止まり、扉が開いた。ホームの飛び下りた瞬間に、人込みの中におとうさんの姿が見えた。おとうさんだけが、浮き上がって見えたような気がした。
 「おとうさん!」
 りんちゃんはおとうさんに飛びついた。しがみついたおとうさんの体は温かかった。そして、懐かしい匂いがした。ちょっぴり寒くて、涙と鼻が一緒にでてきた。おとうさんは大きなハンカチで、やさしく顔を拭いてくれた。
 「りんちゃん。よく来てくれたね」
 「うん」
 「一人で大丈夫だったかい?」
 「うん」
 「おかあさんとまいちゃんも元気か?」
 「うん」
 話したいことがいっぱいあったのに、「うん」という言葉しか出てこなかった。
 おとうさんは、りんちゃんの手をしっかりと握って階段を下りはじめた。大きなリュックはおとうさんが持ってくれた。
 「りんちゃんはその長靴で来たの?」
 「うん。だって山の家は雪がたくさん降るから、長靴じゃなきゃ歩けないもん」
 「そうか。でもこっちはあまり雪は降らないんだよ。長靴じゃあ歩きにくいから、新しいクツを買ってあげよう」
 改札口を出ると、大きなデパートの中に入っていった。デパートなんて初めてだ。小さいころに連れていかれたらしいけど、もう忘れてしまっている。すべてがキラキラ輝いていて、目がくらみそうだった。
 お菓子売り場の前を通ると、見たこともないチョコレートが並んでいた。それはまるで宝石のようだった。
 「どうしたの?
 チョコレートが欲しいのかい?」
 「これ、ほんとうに食べられるの?」
 おとうさんはニッコリと笑って、一袋のチョコレートを買ってくれた。
 クツ売り場に行っても、りんちゃんはクツを選ぶことができなかった。あまりにもたくさんの種類で、何が何だかわからない。山のクツ屋さんではすぐに決まる。だって、五つくらいの中から選べばいいのだから。
 「おとうさんが選んで」
 「よし。そうしてあげよう」
 おとうさんは店員さんを呼び、一つのクツを指さした。それはとてもきれいな水色のクツだった。履いてみるとピッタリだった。その場で新しいクツに履き替え、長靴はお店の人が袋に入れてくれた。嬉しいけど、もったいないような気がした。
 「ありがとう、おとうさん。でも、どうして水色にしたの?」
 「それは、海の色だからだよ」
 「そうか。りんちゃんとおとうさんの海の色なんだね」
 おとうさんの手を強く握って、なるべくクツを汚さないように、りんちゃんはピョンピョンと歩いた。
 「さて、お昼ごはんは何を食べたい?」
 「何でもいいよ。あんまりお腹がすいてないの」
 「遠慮しなくてもいいんだよ。おとうさんが住んでるところにはあんまりいい店がないから、東京で御馳走を食べようよ」
 別に遠慮しているわけではないけど、りんちゃんはほんとうに、あまりお腹がすいてなかった。たぶん、いつもとは違う空気に触れて、緊張していたのだ。
 「じゃあ、温かいきつねうどんがいい」
 「そんなのでいいの?」
 二人は地下街にあるそば屋に入った。おとうさんはてんぷらそばを注文して、えびのてんぷらをりんちゃんの器に入れてくれた。それが嬉しくて、体も心もホカホカに温かくなった。どんな御馳走よりもおいしかった。

 お昼ごはんを食べてから、再び電車に乗った。おとうさんの住んでいるお家に向かうためだ。一時間半くらいで着くと言われたけど、それが遠いのか近いのか、りんちゃんには分からなかった。たとえとても遠くても、もう安心だ。だって隣には知らないおばさんがいるんじゃなくて、おとうさんが座っているのだから。
 電車の中には、クリスマス・プレゼントを持った子がたくさんいた。そうか、今日はクリスマスなんだと思った。楽しいクリスマスを忘れてしまうくらい、おとうさんに会えることで頭がいっぱいだった。
 りんちゃんは電車の窓から、ずっと外を眺めていた。同じように見えたビルも、よく見るといろんな形をしている。まるで大きな鏡のようなビルもある。遊園地にあるようなきれいな色をしたものもある。いくら見ても飽きることはなかった。
 窓から見えるビルの数がだんだんと少なくなってきた。小さなお家ばかりが目立つようになった。そしてとうとう、海が見えた。久しぶりに見る海だった。
 「おとうさん、海だよ。海が見えたよ」
 「そうか、じゃあ、もうすぐだな」
 おとうさんは、いつの間にかコックリと眠っていたみたいだ。
 「さあ、やっと着いたぞ」
 りんちゃんはホームに飛び下りた。そこはとても小さな駅だった。もしかしたら、今朝電車に乗った山の駅よりも小さいかもしれない。駅で降りた人も少なかった。
 「小さな駅なんだね」
 「そうだよ、だからおとうさんは気に入ったんだ」
 「どうして小さな駅がいいの?」
 「人が少ないからさ」
 「どうして人が少ないほうがいいの?」
 「静かに暮らしたかったからだよ」
 りんちゃんには、それがどういう意味か分からなかった。ただ、おとうさんの顔が寂しそうにみえたので、それ以上は聞かなかった。
 小さな改札口を出ると、タクシーが二台止まっていた。バス乗り場には、おじいさんが一人座っていた。二人はゆっくりと駅前の細い道を歩きだした。
 細い道沿いには、普通のお家にはさまれて、いくつかのお店が並んでいた。お肉屋さん。八百屋さん。駄菓子屋さん。クリーニング屋さん。おもちゃ屋さんもあった。おとうさんがふいに一軒の店の前で足を止めた。看板には「来々軒」と書かれている。小さな中華料理屋さんだった。
 「おとうさんは、今このお店で働いているんだよ」
 おとうさんは昔、東京の大きなお店でコックさんをしていた。どうしてこんな小さなお店で働いているんだろう。
 「手を火傷してから、たくさんの料理を作れなくなったんだよ」
 「おとうさんの作る料理はとってもおいしいのに。もっとたくさんの人に食べてもらわなくちゃいけないのに」
 「でもね、人数が少なくても、おいしいって言ってくれる人がいれば、それでいいんだよ」
 大きなお店と小さなお店。どちらがいいのかは分からない。でも、今のおとうさんのほうが楽しそうにも見えた。
 細い道を歩いていると、海の匂いがした。懐かしいあの海の匂い。りんちゃんは坂道を駆け降りた。急に視界が広がった。広い広い砂浜。寄せてくる波。少し離れたところには漁港も見える。
 「これが、おとうさんの海なんだね」
 りんちゃんは後ろを振り返った。
 「お魚がいっぱい採れるんだよ。そのお魚を使って料理を作ることもあるんだよ」
 陽に焼けたおとうさんの顔が眩しく見えた。しばらく二人は、手をつないで海を見ていた。
 「おかあさんとまいちゃんにも、見せてあげたいな」
 りんちゃんはそっと呟いた。

 海沿いをしばらく歩くと、小さな二階建てのアパートがあった。おとうさんは階段をトントンと上がっていった。そして一番端っこのドアのカギを差し込んだ。
 「さあ、あがって」
 ドアを開けると、すぐに台所があった。
 「おじゃまします」
 思わず、りんちゃんは口に出した。
 「遠慮なんかしなくていいんだよ。おとうさんの家はりんちゃんの家でもあるんだから」
 台所の中にあるドアを開けると、そこはお風呂場とトイレだった。そして台所の奥にはもう一つ畳の部屋があった。二つの部屋を合わせても、おじいちゃんの家の一つの部屋よりも小さいと思った。そんなりんちゃんの驚きがわかったのか、おとうさんが言った。
 「どうだ、狭いだろう。でも、一人で暮らすにはこれくらいで十分なんだよ」
 コートを部屋の壁に掛けてもらい、窓を開けてみた。そこにはおとうさんの海が広がっていた。
 「すごーい。こんなに大きく海が見えるんだね」
 りんちゃんは部屋の狭さなんか忘れて、ワクワクした気分になった。
 その日の夕食は、おとうさんがチャーハンを作ってくれた。久しぶりに食べるおとうさんのチャーハン。世界一おいしいと思った。二人でお風呂に入り、背中を流しっこした。
 お布団は二つ敷いてくれたけど、りんちゃんはおとうさんのお布団にもぐりこんだ。とてもあったかくて、おとうさんのにおいがした。そして、やっぱりおかあさんのにおいを思い出した。おかあさんといると、おとうさんに会いたくなる。おとうさんといると、おかあさんのにおいを思い出してしまう。どういて、いつも片一方だけなんだろう。そう考えているうちに、りんちゃんはウトウトとしてきた。

 朝御飯はあったかいご飯と目玉焼きをおとうさんがつくってくれた。そしておにぎりを三つ、アルミホイルに包んでりんちゃんに手渡した。
 「おとうさんは仕事に行くから、お昼はこれでがまんしてね。夕方には帰ってくるから、それまで一人でいられるね。もし寂しくなったら、お店に来てもいいから」
 「へいきだよ。お絵描き帳も持ってきてるから、お留守番できるよ。それより、りんちゃんはいつまでいてもいいの?」
 「お正月までには山の家に帰す約束なんだ」
 「じゃあ、お正月はまた別々なの?」
 「そういうことかな」
 せっかくおとうさんに会えたのに、また別れなくちゃいけない。もう、そんな繰り返しはいやだとおもった。りんちゃんが黙っていると、「じゃあ、とにかく行ってくるね」とおとうさんはお仕事にでかけて行った。
 ふたりでいると狭いお部屋だと思ったのに、ひとりになると、とても広く感じた。寂しさを吹き消すように、勢い良く窓を開けた。真っ青な青空と海が広がっていた。十二月だというのに、陽射しがポカポカしていた。
 りんちゃんは大きなリュックから、手提げ袋をとりだした。水筒にお茶を注ぎ、おにぎりを三つ放り込んだ。台所にあったスーパーのビニール袋も畳んで入れた。ながぐつを履いて、ドアにカギを閉めて、海のほうに向かって歩いた。
 砂浜に手提げ袋を置いて、波打ち際まで駆けていった。ながぐつを通して伝わってくる海の感触。水はとても冷たいけど、何だか気持ちがスーッとする。「やっぱり海はいいな」りんちゃんはつぶやいた。
 海に行こうと思ったのには目的があった。それは、たくさんの貝殻を拾うためだった。冬になると、砂浜は貝殻でいっぱいになる。その理由は分からないけど、りんちゃんは冬になると貝殻拾いをした。そこはまるで自然がつくった宝石箱みたいだった。
 もってきたスーパーの袋に拾った貝殻をつめていった。できるだけ大きさが同じで、色のきれいな貝殻を探した。夢中になって探していると、いつの間にか遠くまで来てしまった。気がつくと、お日様がずいぶん高くなっていた。
 りんちゃんは手提げ袋を置いた場所まで引き返した。砂浜にぺたんと座り、おとうさんがつくってくれたおにぎりを取り出した。大きな口をあけてほおばった。中には大好きな梅干しが入っていた。あっと言う間におにぎりを二つ食べた。残りの一つは、おやつの時間に取っておこうと思った。水筒に入れてきたお茶を飲んで、また貝殻拾いに熱中した。
 「よし、これくらいあれば大丈夫」
 スーパーの袋は、きれいな貝殻でいっぱいになっていた。貝殻がこわれないようにそっと手提げ袋に入れ、アパートに向かって歩きだした。一人でカギを開けて部屋に入るとき、ふと昔住んでいた海の団地を思い出した。海岸小学校が目に浮かんで、ちょっぴり涙が出そうになった。
 「さあ、頑張らなくちゃ。夕方にはおとうさんが帰ってくるんだから」
 自分を励ますように、りんちゃんはいきおいよくドアを開けた。長いあいだ海にいたせいか、身体が冷えきっていた。電気ストーブのスイッチを入れ、しばらくその前に座っていた。かじかんでいた手が、やっと温まってきた。
 コートを脱いで、部屋の壁についているフックにかけた。リュックの中から、お絵描き用の画用紙と色鉛筆、そしてノリを取り出した。コタツの上にティッシュペーパーを二枚しいて、そこに集めた貝殻を広げた。
 りんちゃんはさっそく作品づくりに取りかかった。まずは画用紙いっぱいに海の絵を描いた。いまは冬だけど、夏の海を描こうと思った。赤や黄色をつかって、ウィンドサーフィンも描いた。ピンク色の海の家も画面の中に入れた。そして砂浜の部分に貝殻をノリで張りつけていく。それは、りんちゃんの海だった。
 いつのまにか夕暮れになっていた。時計を見ると四時になろうとしていた。あまりにも熱中していたので、おやつの時間をすっかり忘れていた。りんちゃんは残りのおにぎりを食べた。温かいお茶が飲みたかったけど、コンロの使い方がよく分からなかったから、水筒の冷たいお茶で我慢することにした。
 外はすっかり暗くなった。さすがに知らないところでの一人ぼっちは寂しい。部屋の電気をつけてみたけど、ガランとした様子がいっそう心細くなる。りんちゃんは部屋の隅でひざをかかえて座り込んだ。電気ストーブの暖かさだけが救いだった。
 「おとうさん、まだかな。おかあさんやまいちゃんは、今頃お風呂に入っているのかな」
 口に出せば、よけいに心細くなる。あと十分待って帰ってこなかったら、お店にまで行ってみようと思った。
 とそのとき、アパートの階段をトントンと駆け上がる音が聞こえた。
 「あっ、おとうさんだ」
 何度か足音は聞こえたけど、おとうさんの足音は違って聞こえた。ドアのカギを開ける音がして、おとうさんの姿が見えた。
 「ただいま、りんちゃん。おそくなってゴメンネ」
 「おかえりなさい!」
 りんちゃんはおとうさんにしがみついた。冷たくなったコートをぎゅっと握りしめた。やっと、こころが温かくなってきた。
 「お腹がすいたろ。何が食べたい?
 あんまりいい店はないけど、駅前にお寿司屋があるよ。どうだい、お寿司は?」
 「お寿司は食べたいけど、お家でおとうさんと二人で食べたい」
 りんちゃんは、できるだけ二人きりでいたかった。
 「分かった。じゃあ、お寿司を買ってきてここで食べよう」
 手をつないで、駅前のお寿司屋に行った。折り詰めを三人前買って、アパートに帰ってきた。お味噌汁はおとうさんがつくってくれた。海の近くのお寿司は、やっぱりおいしいと思った。
 夕食が終わると、りんちゃんは一日かけてつくった絵をもってきた。
 「おとうさん、ハイ、クリスマスプレゼントだよ」
 お絵描きの紙いっぱいに海が描かれている。砂浜のところにはきれいな貝殻が張りつけてある。「おとうさん大好き」と貝殻の文字が張りつけてあった。
 おとうさんは、じっとその絵を見つめていた。そしてりんちゃんをしっかりと抱きしめて「ありがとう」と言った。おとうさんが泣いていた。おとうさんが泣くのを、りんちゃんは生まれて初めて見た。
 りんちゃんは思い切って、言ってみた。
 「ここで、四人で暮らそうよ」
 「そうだな、でもここじゃ狭すぎるよ」
 おとうさんは涙を拭いながら笑った。りんちゃんはリュックのところまで走って行き、中から預金通帳を取り出した。これまでもらったお年玉やお小遣いを貯めていた。金額は二万円近くにもなっていた。その通帳をおとうさんに手渡しながら言った。
 「このお金で新しいアパートに引っ越せばいいよ。そしたらおかあさんもまいちゃんも住めるよ」
 おとうさんの顔が崩れ、再び強く抱きしめてくれた。
 「分かった。とにかく今年のお正月は四人で過ごそう。後でおかあさんに電話してみるよ」
 「ほんとう?
 約束だよ。来年も再来年もずっとだよ」
 りんちゃんは嬉しくて部屋の中をピョンピョンと走りまわった。
 その夜、おとうさんは長い長い電話をしていた。何を話しているのかは、よくわからなかった。どうなったかを知りたかったけど、がまんできずに眠ってしまった。
 朝、目がさめると、おとうさんはもう台所でおとうふを切っていた。
 「おはよう、おとうさん」
 「おはよう、まだ寝てればいいのに」
 「いつもは、もっと早起きなんだよ」
 「そうか。えらいな。じゃあ、お布団を畳んでくれるかな、もうすぐご飯ができるから」
 布団を畳んで、歯をみがいて、朝御飯を食べた。りんちゃんは、おかあさんのことを聞くのが何となくこわかった。かたづけをして、おちゃわんを洗いながらおとうさんが言った
 「今日の夕方に、おかあさんとまいちゃんがこっちにくるよ。駅まで迎えにいかなくちゃね」
 りんちゃんは言葉がでてこなかった。代わりに涙が出そうになった。りんちゃんはコートを着た。スーパーのビニール袋を手にとって、ながぐつをはいた。
 「こんな朝に、どこに行くんだい?」
 「海に行ってくる」
 「どうして、こんなに早くにいくの?」
 「だって、おかあさんが来るまでに、貝殻を集めなくちゃ、間に合わないんだもん」
 りんちゃんは階段を駆け降りて、海に向かって走った。アパートを振り返ると、おとうさんが手を振っているのが見えた。
 「すぐに帰るからね。ぜったいそこで待っててね」
 りんちゃんは大声で叫ぶと、再び走り出した。
 四人の海に向かって。

<了>

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