kitombo.com | ミャンマー友好の旅 | 2005年7月4日 
kitombo.com

ミャンマー友好の旅
「飯森 好絵」


7月4日

2000年11月

ミャンマーって危なくないの?


もちろん右側が好絵さん。

 昨年の暮れのことだったろうか。日本とミャンマーの学生の交流プログラムを始めようと大地舜氏から声がかかった。いっしょに楽しい時間を過ごす人を、国境を越えて探しにいくようなものだから、ぜひ、このプログラムを立ち上げたいと思った。大学生や若い人に興味のある人はいないか、と探したが、なかなか出てこない。興味がないというより、ミャンマーについて、まったく知らないという人が多いのだ。ならば、とにかく自分が行って、どんな国だか語る人になろう、と出発を決めた。
 でも、本当はどきどきしていた。GYUリーダーの大地舜氏が安全だというのにもかかわらず、もしかして、拘束されてしまったり、民衆の蜂起に巻き込まれたりしてしまうのではないか! などと、要らぬ妄想を働かせていた。この国については、軍事政権、強制労働、刑務所での虐待、外国人記者の拘束、アウンサンスーチー女史の軟禁…なんていうマイナスのイメージの記事しかなかったし、「ボディガードとしてついていく」なんて言う人も出てくる始末で、最悪の事態を考えて行かなければいけないところなのではないかと思わずにはいられなかったのだ。
 これからお付き合いを始める国である。それなのに、出会う前からそんな風に思うなんて、不幸なことだ。しかし、ミャンマーに対して、そういうステレオタイプの情報しかないのが今の日本だ。(アメリカでもヨーロッパでも同じような状況だろう。)でも、前評判と実際が異なることは往々にしてあること。そして、幸いなことに、私のミャンマーに対する印象は行く前と帰ってきたからとではまったく別のものになってしまった。

ガーデンシティ・ラングーン

 道端に座り込み、おしゃべりやゲームに興ずる男たち。マーケットの日陰で、客が来るのを待つ女主人。寺院の木の下で、静かに語り合う恋人たち。はだしで寺院を歩き、ぺたっと座り込んでは、祈りをささげる人々。あっけないほどの平和な生活がそこにあった。まるで公園の中に町があるように見える。


識字率が非常に高いミャンマーには古本屋街がある。

 いつもの「なんでも見よう、やってみよう、多くの人と話そう」の根性がよみがえった。GYUとしてこれから何ができるのかを調査するのが今回の目的。学生さんを連れてきたのなら、彼らをサポートするのが私の役割かもしれないが、今回は、私が主役だ! ぐらいの勢いを持ってしまったのだ。
 ミャンマーの文字は独特で、まったく読めない。しかし、車から眺めるとなぜか、読める文字が目に飛び込んでくる。日本の中古車をそのまま使い、「西武バス」だの、「●●教習所」だのといった日本語の表示を消していないのだ。見目にこだわらないためか、それとも、かなをかっこいいデザインととらえているのか…。日本に対して好印象を持ってもらえるのならば、どちらでもかまわない。そんな車が緑深い町のなか、土ぼこりをたてながら、鈴なりに人を乗せ、縦横無尽に走っていく。そんな様を眺めているつもりが、その車に乗っている人々は、外国人である我々を珍しいものを見つけたように、じーっと見つめている。ふっと目があっても、目をそらすことなく、興味深げに眺めている。こちらが、ミャンマーについて知識がないように、彼らにも日本について何も知らないのだ。異国から来た人を眺める視点はどこの国でも変わらない。

新しい友達みつけた!

 今回の旅のホストはミャンマー日本友好協会。我々を出迎えてくれたり、パーティや視察のアレンジを一気に引き受けてくれたのは、副総裁のミャミャウインさん。彼女がいなければ、GYUの活動は始まらなかっただろうし、この旅も実現しなかったに違いない。ウェルカムパーティ、高校視察、ホームパーティ、ミャンマーソングカラオケ、国内旅行などの設定に尽力してくれた。協会のみなさんは、10日間、いろいろな形で我々と時間をともにしてくれた。最も時間を割いてくれたのは、国内旅行にいっしょに行った3人だ。


若い尼さんも托鉢をする。

 マーラさん、マッカイさん、ナインさんとともにマンダレー、バガンを旅した。マーラさんは日本にご主人を残し、息子さんにミャンマー人としての自覚を持たせるため、こちらで子育て中。日本ではレストランをいくつも掛け持ちして働き、自らも東南アジアの食材を扱う店を切り盛りする働き者だ。ナインさんはミャンマー一のアイスクリーム会社の御曹司。とっても気を使う男で、何かと先回りして、用意をしてくれ、私たちを喜ばせようと苦心していた。マッカイさんは来年から日本に留学に来る予定。周りの人に言葉を聞きながら、一生懸命、日本語をしゃべろうとしている。
 マンダレー、バガンといった古い都市を訪れ、遺跡をはだしで歩くことでこの国の長い歴史を感じた。カンカン照りのなか、どこまでもずんずん進んでいく私に同行のGYUメンバーもミャンマーの3人も根気よくつきあってくれたものだ。「イイモリちゃんは古いものが好きなのね」と半分あきれながらも、運転手に行き先を告げてくれた。遺跡を眺めるうちに、改めて、仏教美術を学びたいと思うようになり、自分が学生になったような気になった。そして、何よりも、3人と時間を気にせず、おしゃべりをして、この国の人たちと仲良くできる! と勝手に確信してしまった。
 


仏教は生活に溶け込んでいる。

毎日、深夜すぎまでビールを飲んだ。ホテルの従業員は、ミャンマーの女性がお酒を飲むことに目を丸くしていた。仏教の教えで女性はお酒を飲まないものとされている。そんな習慣を切って捨てるマーラさんは豪快だ。「ミャンマー」と「マンダレー」という銘柄のビールを交互に何本飲んだだろう? 2つともラガータイプのあっさり味。何本飲んでも酔わない軽いのど越し。湿り気を含む夜風に吹かれながら、将来の夢や仕事のことなど、日本人の友達としゃべるように普通におしゃべりした。みんなで手相を見合って、キャーキャーと笑った。

生きる仏教


マカイさん。

 どこに行っても、誰もが私の手相を見ては「お金は苦労しないで手に入るけど、全部使ってしまう」と言う。バゴーの尼僧にも同じように言われた。加えて、「今年中に外国人と結婚する。でも、その結婚相手は良い人ではない」。あぁ、悩ましい。
 尼寺は住宅街にあり、尼たちは孤児たちの世話をしている。今回は、お札をいただきに上がるという女性たちについていったのだが、そこで、ついでということで、占いをしてもらったのだ。お札をいただく際に、ありがたいお話をしてくださったようだ。その話を伺いながら、尼さんたちの手作りのジャムとお茶のもてなしを受けた。尼さんと普通におしゃべりをしている女性たちを見ていると、生活に仏教が根付いている一端を垣間見た気になった。
 人々は、僧に対しては、尊敬の念を持って接している。お布施などのお金を渡すときは、お札を縦に折って、両手で差し出す。
 ミャンマーは実に仏教の国である。仏教が生きている国である。それは仏像にもよく現れている。光背は電飾で飾られ、仏の顔はつやつやとしている。仏教が過去のものになってしまった日本では仏像の金箔ははげ、極彩色の塔は古色を帯び、それが、よしとされているが、それと対照的に、ぴかぴかした仏像を祭り、拝むのだ。しかも1日に何度も寺を訪れるという。生活のなかに祈りが定着しているのは、ちょっとうらやましいことだ。こころ静かな文化といえるだろう。

ミャンマー人になる!?


買い物をするマラーさん。

 文化のことを知るためには、衣食住を知ることが必要。旅行中は現地のものを食べるのは基本中の基本。旅をすることは「都市を見ること=建築を見ること」と鈴木博之氏が言っているように、それも実践済み。後は、実際に衣料を身に付ければ「衣食住」を制覇できる。
 たいていの人は民族衣装を身に付けている。巻き方が異なるものの、男も女も基本は同じ。ロンジーと呼ばれる巻きスカートを仕立てることにした。生地を筒状に縫うだけ。それをうまく体に巻く。アジア女性特有の細い腰がきれいに見える。しかし、コツをつかまないと、すぐにぐずぐずになる。最初は着付けてもらう。ぐぐぐっと生地を引っ張る。すると、きれいにしわ一つないのに、きれいなドレープができあがる。足さばきも違和感がない。次の日、自分で着てみる。力いっぱい左右に引っ張る。でも、どこか妙なしわができるし、歩くと、なんとも具合が悪い。しかたなく、紐などを使って何とか形を整える。日本人以上に本音と建前があるように思えるミャンマーの人たちは、この不細工な外国人の着こなしにも「きれい」と言ってくれる。これに、ミャンマー独特の化粧「タナカ」(木を少量の水ですったもの)を顔につければ、ミャンマー人の出来上がりだ。
 学校の先生は白いブラウスや中国服のような上着を着て、グリーンのロンジーを身に付けている。ミャンマーではグリーンは清らかな色と思われていて、生徒たちの制服にもなっている、と高校の校長先生が説明してくれた。私はそれを知らずにグリーンのシルクのロンジーを作ったのだが、会う人、会う人、良い色だと言ってくれたのを思い出した。

日本人よ、ルックアジアだ


ナインくん(中央・白シャツ)。

 バゴーであった退役軍人は日本に来たことがあると、アルバムを見せた。勤勉で、規律正しい日本人を尊敬していると胸を張って言う。しかし、それを聞いて、今の日本の若い世代の問題を思わずにはいられなかった。彼の日本人像はありがたいが、本物ではない。ミャンマーの人に等身大の日本を見てもらいたいとも思った。
 それと同様に、多くの日本人に、ミャンマーを知ってもらうことがこれからのGYUの課題だ。大段に構えて、交流をしていこうなんてこれっぽっちも思っていない。ともに楽しい時間を過ごす仲間を増やしたいというのが私の願いだ。しかし、大学生にミャンマーに行こうと言っても、「なんでミャンマー?」と逃げられてしまう。ならば、興味を持ってもらうような活動が必要になるだろう。
 なんといっても、我々の隣人はアジア大陸の国々だ。ここに暮らす同世代の若者たちが何を考えているのかを知ることは同時代を生きるものとして最低限のマナーではないかと思うのだ。


最近の仏像はネオンサインのようにけばけばしい。

これまでのコラム
kitombo.com