kitombo.com | ミャンマー友好の旅 | 2005年8月29日 
kitombo.com

ミャンマー友好の旅
「相本 真菜」


8月29日

生まれたての夕日のオレンジ色、
ヒラヒラとはためく紫と緑の民族衣装、
ガタガタと揺れるジープは砂で黄土色、
白いタナカ、
そして、チョーカインさんの笑顔、
タウキンキンダさんの笑顔、
アウンサンの笑顔、
笑顔、笑顔、笑顔・・・。
私は、これらを思うと一瞬のうちにミャンマーに戻れる。
色鮮やかなミャンマーの思い出たち。

どんな事でも知りたいし、やってみたいと思う。とにかく自分で体験したい。
日本を出て、海外に行くというのはそういう事だ。
思いっきりチャレンジする。何でも珍しく、楽しく、感動する。
ミャンマーの人にとって当たり前の出来事も、わたしにとっては非日常。
今目にしているものはよく理解できないにせよ、
私自身にとってみれば新しい可能性を秘めた何かだと本能的に感じるのだ。
単純にいうと、「ミャンマーっておもしろい!」という事に尽きるのだが。

今から書くのは、そのほんの一部。

その1「パゴダに登った」
 それは、夕日を一望できる場所。
 バガンに立ち並ぶパゴダをバックにして繰り広げられるショーである。
 そう、まさにショーを楽しみにするような感覚で、私は登ってじっと待った。

 “登る”といっても色々種類があるが、私は“よじ登り”スタイルだった。
 何しろパゴダの石段は急で、高くて、階段の幅はせまい。
 思わず息が切れる頃、うっすらと汗をかいて(所々冷や汗も)頂上に着いた。

 人が動物が小さく見える。パゴダで休む人々も、一生懸命登る観光客も。
 そして 眼下に広がるは果てしないはこういうことなのだろうと思うような空、
 さらにあちらこちらにポツポツと立つパゴダ。
 自分が偉くなったような気がする。
 とその時、おばあちゃん達の一行が登りきった。
 誰かれとなく拍手が起こった。
 みんながショーを楽しみにしている。
 だからこそ、パゴダのてっぺんにはエネルギーが満ちている。

 ショーは始まった。
 どこまでも続く空。広い広い空がオレンジになり、あっという間に暗くなる。
 当たり前の事だけれど、夕日を見るというだけで人々が集まってくるというのを
 もうどれ位やっていないだろう。
 私達はさみしい。とてもさみしい。
 高いビルに夕日はさえぎられ、キラキラした明かりに星は見えない。
 だからこそ、ミャンマーの人の日常に感動する心がある。
 当たり前とはとても思えない。素晴らしい一瞬。
 空が自由きままに塗り変わり、さっきまで隣にいた人の笑顔がオレンジに変わり、
 薄暗くなり、見えなくなった。

その2「パゴダを下りる」
 登る時はがんばる。前をみて、空を見上げているからがんばれる。前向きだ。
 下りる時は必死だ。幅の狭い階段が、“できる”という気持ちをも狭くする。
 そろりそろりと下りていく。

 ふと、悠久のかなたへ思いを巡らせる。
 このパゴダを作った人々は苦労しただろう。現代のようにモノがない時代。
 確かなものは、1つ1つの石の積み重ねだ。
 当時の彼らにとっての夕日は、仕事が終わる合図だったのだろうか。
 時には仕事が上手くいかず、恨めしく思う時もあったのだろうか。
 夕日はどんな時代のどんな身分の人にも平等に見せてくれる。
 と、思ううちに足が地面に着いた。何だか、ほっとした。

 私が登った後も下りた後も、ごちゃごちゃと考えている間も、
 はたまた私よりはるか昔の人が登って下りた後も、きっとそう。
 ミャンマーは変わらずに時をゆっくりと移す。何だかちょっと悔しい。

つづく

これまでのコラム
kitombo.com