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それでは再び、手における親指の位置についての話に戻りましょう。すでに高いところにセットされた親指のことは検討しました。これは猿の手に近いのです。また低いところにセットされた親指についても述べました。次は、まっすぐな親指で、写真69のように、手に近くセットされている場合です。
このような親指は、手の高いところ、低いところ、真ん中辺りに位置していることがありますが、手のそばに横たわっていることと、まっすぐな姿が目立つ特徴です。このような親指の関節部分には柔軟性がありません。低いところにセットされた横に開く親指とは、正反対の関係にあります。
このような指はこわばった親指とは言えません。なぜなら、確かにしなやかさに欠けてはいますが、常にこわばっているとはいえないからです。この指の特徴は全体的に見たその姿にあります。手の脇にぴったりとくっついているのです。
これが物語るのは、持ち主が注意深いことです。この方の言葉は少ないでしょう。なぜなら、あなたに親しくなったと誤解され、何かを頼まれないか、と恐れるからです。このような親指の持ち主は、偏狭で同情心に欠け、親しくなることが難しいでしょう。彼らは回りに壁を立てており、その中には入り込めません。
彼らはあなたを腕の中に入れません。独立心がなく、物の見方が狭く頑迷で、自らの方法に固執します。彼らに対してあなたは、開放性とか率直性がないと感じるでしょう。彼らは秘密主義で、信頼ができませんし、また彼らも人々を信頼しません。したがって友人が少ないのですが、もともと友達を作ろうともしません。
このような親指に加えて、他の指も硬く柔軟性に欠けるならば、このような特質が強まります。また短くてクリティカルな爪を持つならば、彼らは了見が狭く意地悪です。このような親指に出会ったら、温かさや同情心に欠ける人であり、注意深く秘密的で偏狭で反応の鈍い方だと思ってよいでしょう。
写真70のように、親指が手の中ごろにセットされている場合を見てみましょう。高すぎもせず、低すぎもせず、手から放れて、遠く離れていくようでもなく、立っている感じがして、大胆で恐れを知らず、独立心旺盛で活力に溢れているように見えたら、この方はバランスのとれた物の見方をする方です。浪費家ではありませんが、吝嗇でも浅ましくもありません。
この方は、理屈にかなう訴えには耳を傾けますし、その反応も賢いでしょう。この方は頭脳にも心にも支配されていません。その両者を配合できるのです。この方はバランスがとれており、注意深く、寛容で尊厳があり、賢く理屈にかなった形での接近に対しては対応します。
この方は感情に流されることもなく、人々を遠ざけることもありません。ビジネスでも宗教でも、恋愛や家庭生活においてもこの方はバランスがとれており賢いでしょう。このような親指を持つ方に出会うと、あなたは、この方が行動についても思想についても、隠し立てをしていないと感じます。この方は明朗で友情に厚く、友達になる価値があります。
このような親指には魅力があり、信頼感が持てます。支配欲が強いわけでもなく、逃げるわけでもなく、極端な意見も持っていませんし、感情も安定しており、良心的な考え方をしており、バランスがとれています。
次に親指全体の姿について考察しましょう。全体の姿を細部にわたって理解することは、極めて大切です。まずは、写真71に見られるような、厚ぼったい初歩的な発展段階の親指から初めて、徐々にレベルを上げていきましょう。
この親指はバナナのような姿をしています。均整がまったくとれていなく、関節もどこで分かれているかが不明で、手からいきなり肉の塊が出て来ているように見えます。写真71は私の知る限りその最も優れた見本で、このタイプの親指の姿を明瞭に示しています。
この親指が語るすべては、厚ぼったさと粗雑さと、動物的なことです。意思も理屈も愛の情熱も獣的な力を伴います。崇高さや知的高揚はありません。すべてが重たく粗雑で平凡でぶっきらぼうで気転が利かず、無知を思わせます。
この親指の持ち主は、出会う人々を踏み倒していきます。マナーや会話を洗練させることに興味がなく、人々の感情を無視します。さらに彼と同様に粗雑な人々の間においても、野卑で無骨です。この方は根深い無知を体現しています。しかもそれを理屈抜きに行います。
このような厚ぼったい親指は、既に述べたような特質を持ちますが、写真71ほど端的な親指に出会うことは稀でしょう。しかし近いものには出会うでしょう。その場合、その親指が何を物語るかは明らかです。
(つづく)