特別寄稿
「福の神のご利益(1)」
油棚憲一
6月17日
この題名を書いたのは「恵比寿様と大黒様」について書き始めようとしたからであった。実は題は書いたものの、本文は一行も書き始めない時点で私は驚いた。NHKのテレビが「土曜特集」として「島根県美保関や神話の国」を話題に取り上げて放映しているではないか。二○○二年五月四日(土)の夕方、七時三○分からであった。これもシンクロニシティーの一つでは?とお茶を飲みながら思わず私はブラウン管に見入ってしまった。
テレビの方は、面白ろおかしく、ふざけながら話を進めていたので私の関心からは一寸遠いものとは思ったが、考えて見れば私のここに書こうとしている話だって、「ふざけた話」と笑いとばされそうな内容とも言えるかもしれない。それを私は「本当に有難い話」と思っているのであるから、どこか変人なのかもしれない・・・との若干の反省はある。しかし真実の処、心の中では手を合わしている程の感謝の気持ちをもって筆を執っていることを信じて頂きたい。
そればかりでなく、この様な話を馬鹿にもせずに読んで下さる方にも、おそらく「福の神のご利益」が付いて来るのではないだろうか・・・とさえ思っている事もお笑いの種でしょうか。
話というのは大分以前から始まる。春が来て新年度が始まる時、私は定年退職することになっていたので、昭和五十二(一九七七)年十二月の冬休みの頃は若干不安定な気持ちになっていた事は否定出来ない。第二の人生の計画未定の状態だったからである。
気持ちを休める意味もあって、私は近くの江戸川へぶらりと魚釣りに出かけて見た。もともと私は本格的な釣師ではあったが、そのときは高下駄をはいて、釣竿一本を持ってのんびりと一キロ程先の江戸川へ行ったので気楽な遊び心に過ぎなかった。
冬の江戸川は夏と異なって水も澄み切って透明だった。私は岸辺の葦の間から竿を出して腰を下ろして釣っていた。
ところが竿を降っている間に「おやっ?」と疑う気持ちになった。というのは浮きがポーンと放り込まれる付近の葦の生えている泥の中から、どうやら人形の目の様な二つが時々ピカーッと光る様に見えた殻であった。波によって見え隠れするものの、何回か見えたので私は確かにそこには何かがあると確信するに至った。
そこで私はズボンを膝の上まで捲くり上げて、比較的浅いその場迄川へ入って行った。そして手探りで泥砂中を探って見たら、出て来た物は高さ三十センチ以上もあるアンチモニー製の金属像で、片手に釣竿を持っている恵比寿様の座像だった。
私は「こんな福の神の完形品を、粗大ゴミの一つとして泥の中へ捨てる様なバチ当たりも世の中にはいるんだなあ」と思いながら、その全身を水で綺麗に洗い落して、自分の後ろの土手の上に飾って置き、又魚釣りを始めた。
所が又驚いた事に、今の場所より少し沖の方に、又ピカーッと輝やく目が見えたのだった。私は今度は「大黒様だなあ」と直ぐに思った。冬の川水は物凄く冷たい。それでも私は「大黒様が泥の中に捨てられている事など見捨てる訳にはいかない」と思って、今度はズボンを抜き、上着も抜いて冷たい川の中へ入って行った。
結局それは、顔だけを泥砂の上へ出して埋められていた大黒様のアンチモニー製座像であった。私は又も綺麗に水で泥を洗い落として、先程の恵比寿様と並べて土手の上に飾って置いた。私の頭の中では、どう考えても、この様な立派な福の神像を、川底の泥の中へ不法投棄をする様なバチ当たりな事をする人の気持ちが解せないという気持ちで一杯だった。
私は最初恵比寿様の像一つの時は、重くとも自宅迄担いで帰ろうかと思っていたが、大黒様迄発見しては、二体を担いで帰るなどは到底出来ないと悟った。そこで私は二体を土手の上に並べたまま、これに合掌して、そのままそこへ置いて帰る事にした。それは「若し誰かが車ででも運んで持ち帰ってくれればそれで良い」との考えであった。
それでも気になって、私は次の日曜日に現地へもう一度行って見た。今度はリュックを担いで一箇ずつ二回往復して家へ運ぼうか、と考えたからであった。ところが、現場へ行ったら二柱とも、もうそこには置いてなかった。私はそれで良いと思った。誰かが持って行って祭ってくれればそれで良い、と思って安堵し、現場に合掌して帰って来た。
実はその後から次々とラッキー・ミラクルが私の身辺に起き始めた。
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