特別寄稿
「福の神のご利益(2)」
油棚憲一
6月24日
そのラッキー・ミラクルは最初は「割合と自然な」と考えられる程度であったが、それは次々と大規模の話になって行き、結果的には私の人生の後半をさえ大きく変化させる事となったのである。しかもその全てがラッキーと結びつく話ばかりであった事も唯々有難い事と思っている。
先ず第一に冬休み中に、私の第二の人生の進路が確定した事だった。日本でも第一流の有名私立大学から声が掛かって来て、私にそこの教授になってくれ、との事。それは私の最高の希望でもある第二の人生のコースであったのである。こちらから希望を申し入れた訳でないのに先方から私に要望して来たのだった。その私立大学へは私の先輩教授も何人か定年退職後転職しているが、全員が「講師」としての再就職であったのに、私は「講師」としてでは無く「教授」としての再就職の第一号であった事もラッキーと言うべきであろうか。
しかも結果的には、温かく迎えられたその大学での第二の人生としての教授生活は、満十二年も続き、その間に世界的に評価される研究にも成功する事も出来、そこを退職する時点で、その翌日から第三の人生への又も素晴らしいスタートを切る事が出来、その第三の人生就職も五年半も続いたので、年齢八十才を越える迄、私は第一線での職場で活躍を続ける事が出来た、という事もラッキーと考えるべきではないだろうか。
私は今この文章を書きながら初めて気がついたのであるが、前記の「世界的に評価される研究にも成功」と書いたその実体は何と、「水底の沈泥の中から遺物を探査発掘する所の水中考古学に於ての大成功」だったのであった。ここまで書くと私の本名は言わずともばれてしまうが、本名がばれようがどうであろうが書いているのは油棚憲一であるとお認め願いたい。そうでないと打ち明け話がしにくいからである。
ここで「書きながら初めて気がついた」と言ったけれども、これも本当に今、気がついた訳ですが、私の大成功した処の「水中考古学」の作業の本体は、「水底の泥砂の中から宝物と評価される様な重要なる文化財を発掘する」事であり、気が付いて見ればこれは私にとってはあの時、恵比寿様と大黒様の座像を川底の泥砂の中から掘り出した事に始まっていたのでした。
「ああ、あの大成功も又『福の神のご利益』からスタートしていたんだ」と、まったく感慨深い次第である。あの冬の寒い日に上着もズボンも脱いで、あの冷たい水の中へ入って恵比寿様と大黒様を泥砂の中から掘り出した時点で、私の頭の中に「水中考古学」などと言う事はまったく無かった事は当然であった。
これ又不思議な事に、二○○二年五月の現在に於て、私の周辺に起きている大きなイベントが、何んと大英博物館版の「水中考古学百科事典」なる大判の図書を編集して、その道では有名なヴァンクーヴァー海洋博物館の専務理事デルガード氏から連絡が有り、この夏、七〜八名の取材班が来日して、私を中心にして日本の各地の「水中考古学的知名の海を訪ね、水中撮影をして世界百七十二ケ国へ国際放映をするのだ、と言う。皆様はこの様な話の繋がりをどうお考えでしょうか。
さて何とはなしに横道にそれてしまいましたが、実は座像二体はどなたが持って行き、祭って下さったのであろうと思って自分なりに安心して自宅へ帰ったその日から小さな変化が起き始めたのでした。
ある財団の会報で、「連載中の執筆者が体調を崩した事から執筆予定の原稿を書けなくなったので、船を専門としている私に執筆してもらいたい」との話であった。表題は既に発表してあるので「諸手船」について、然かも一月十五日発行に間に合わせたいので、何とか至急執筆してくれ、との速達便が届いていたのだった。関係の深い財団からの依頼であり私は承諾せざるを得なかった。刷り上がり一頁のものであったので私は直ぐ執筆して速達で原稿を送った。
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