そろそろ水中考古学のロマンを語りたいと思う。数年前に拙文が或る権威ある集団の会報へ「特別寄稿」として掲載された事がある。表題は「歴史との出会い」―――水中考古学のロマン―――というものであった。内容が本稿と同方向のものであるため、その中のほんの一部をここに再録させて頂こう。
<科学者で運命論者>
科学者のハシクレの一人であることは、自他共に認めるところと自負している私自身であるが、「天に与えられた運」などという運命論については、人並み以上の信奉者であることを否定できない。もちろん、「運は努力によって開かれるもの」との考え方などを伴っての話だが。
主題とこの話題と一体何の関係があるのか?・・・などと、性急に質問をなさるのは一応お待ち願いたい。副題をじ−っと見てもらえば、そぞろにわかってくるはず。あの広い海の、しかもその海底下に、今から数千数百年以上前の貴重な遺物が埋もれているのを探り当てて、引き揚げるような作業を伴う水中考古学であってみれば、運の良し悪しの話題にも「なるほど」と、思わず頷くことになるのではないだろうか。
簡単に言えば、その貴重な遺物を、運の悪い人たちがいかに探し求めても探し出せなかったというのに、運の良い人が探し始めれば驚くほど短時間で見つけてしまう、という現象は常にあるものである。
本稿は研究報告というような堅いものではなく、地方自治体の関係者の方々と共に、お茶を頂きながら、参考になる話題を取り上げてお話し申し上げる気持ちで筆を執っているので、まずは砕けた話題もお許し願いたい。
一昨年(一九九○年)に、南米ボリビア国「キープス(結縄)財団」の学術報告書が私に送られてきたが、その表題は「神秘の湖チチカカ湖における波の下での考古学」というもので、執筆者はホハン・ライハルト博士。要点のみをご紹介すれば、次の通りである。
―――神秘の湖チチカカ湖は、インカ帝国のミステリーを抱く湖として知られている。また、スペインが南米へ来襲した時、住民はその掠奪から逃れるため、有名な黄金の大鎖などの他、幾多の財宝もこの湖底に沈めたのである。これを湖底から引き揚げようとして、今までに英米独仏などから次々と学者や冒険家たちが来て、これに挑んだ。しかし彼らは、今までに十数名の犠牲者まで出しながら、誰一人として成功した者はない。今までに発見できた物と言えば、かつて湖面が低かった頃の港の防波堤と、現代の陶器片の幾つかのみであった。
ところが一九八八年に、日本から茂在寅男氏を団長とする調査団が来て湖底探査をしたところ、彼らは到着後間もなく、貴重な遺物を湖底から続々と発見し、しかもその位置測定も精密に行なって、これらの遺物引き揚げに成功した。これこそチチカカ湖における、初めての水中考古学的作業の成功であったということは明白である。―――と(原文圧縮のままで抜粋圧縮)。
これは誠にありがたい記事と、私は心の中で感謝しつつ読んだ。日本では必ずしも評価されているとはいえなくとも、外国ではこれほども評価されている、との喜びであった。私は感銘をおさえ難く、さらに一九八八年七月二十日付の「ボリビア国立考古学研究所のカルロス・ウルキーソ・ソッサ所長」からいただいた私への感謝状を、もう一度開いてみた。
――今回貴殿が実施したチチカカ湖における水中探査の作業によって、プレ・コロンビア文化(コロンブス来航以前の文化)の遺物に関し、我々の知識を広めてくださったことと、将来の研究企画への見通しと期待とを、私たちに与えてくださったことに対し、私は心から深く感謝申し上げます。同時に、このようにして国際的な学術協力をしてくださった日本人のご好意と、熟練した高度の技術水準及びその成果に対し、私は深く讃意を表するものであります。―――
これを見ながら私はまた考えた。現地の方々にこれだけ評価されれば、日本で誰にも評価されなくとも喜ぶべきではないだろうか、と。
この抜粋文は全文のほんの一部ではあるが、そこにはやはり「運の良さ」というものが有る事を否定出来ないのではないだろうか。
チチカカ湖と言っても読者諸賢は殆ど行った経験はないと思われるが、環境は仲々厳しい。何しろアンデス山脈の上にある湖で、湖面の標高は海抜三八一二メートルもあり、三七七六メートルの富士山より遥かに高い事からだけでも色々と想像出来るであろう。酸素が少ないという事からも、ここで潜水に挑んだ各国の冒険家達が、既に十数名の犠牲者を出しているという事も理解出来よう。
又その湖の広さも琵琶湖の約十二倍も有るので、湖と言うよりは海の感じである。その広い湖の、どのあたりの湖底に貴重な遺物が埋れているか、見当付けるだけでも容易なものでない事は想像出来よう。それなのに、現場の作業に立ち合ってくれた現地の学者達の報告が右記の通りである事は不思議と言うほか無いではなかろうか。了。