kitombo.com | 特別寄稿 | 2002年8月12日 
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特別寄稿
「ラッキー・ミラクルの話」

油棚憲一
8月12日

(2) ツイている人はアンラッキー(不幸)からは逃れる
 この様な話はフィクション(小説等、想像によって後世された話の筋)には多いが現実には有り得ない、と信じている人が大部分であろう。然し世の中には何故か常にその様な事が身辺に起きる人がいるから不思議なのである。
 然し、(第二次世界)大戦の現場を体験した人達は大体がこの不思議な現象の起きる事を信ずる側である。「一寸先が見えない世の中」を感ずるのは、生命の安全を常に脅かされていた戦場での体験を持っている人の大部分であることを否定出来ない。平和な豊かな生活しか知らない人々が、こうした事を信じないのは当然かも知れない。私の友人の場合など何回か、こうした体験を語っている。
 或る砲艦の艦長に転勤させられたA氏が現地の港へ到着したのは朝だった。然しそれまでの艦長だったB氏は、A氏の友人でもあった事から、
「お前は長距離の旅で疲れているだろうから今日一日は陸で休んでいろよ。俺は夕方に帰港するから、その後で引き継ぎをする」
 その砲艦は港を出て間もなく、敵の潜水艦からの電撃によって沈没し、Bは哀れにも戦死したのだった。AもBも私の友人であり、この話は涙が出てこれ以上、ここでは述べる事を控えさせて頂きたい。合掌。
 ここ迄筆を運んだ時点で今朝の朝刊に目を移す事になった。見出しには「横浜の市長選挙の結果」が大きく報道されていて、その下に「台湾の大地震」の報道が目を引いた。
「昨日(即ち二○○二年三月三十一日)の午後二時五二分(日本時間で三時五二分)に台湾の北東部で大地震(日本気象台発表ではマグネチュード七・三)があった」
 との報道である。
 これ又偶然の事ながら、私は数年前の台湾の地震と私との関わり合いについてここに書こうとしていた所であった。
 私が名誉会長を勤めている団体の一つに「日本水中地中探査技術研究会」という学術団体がある。主として理科系の大学教授や助教授や、探査技術関係機器の会社の社長達、潜水用具会社の社長や潜水夫養成機関の指導者達で構成されている研究会である。それを見て分かる通り、研究会メンバーの数は多くないはないが、この面でのトップクラスの人達の集団で、特にスポンサーが別に居る訳ではなく、メンバー自身がスポンサーになって活躍している団体である。
 この団体に一九忌中八年夏頃に台湾から連絡があり、台湾澎湖島の海底遺跡の解明に協力してくれないか、との事。現地からの情報によれば、澎湖虎井興の海底に一万二千年の遺跡が存在しているが、これを中日の学者達協力によってハイテクを使った科学的解明をしようではないか、との呼び掛け。
 私達は早速(一九九九年春に)先発隊員数名を派遣して現地との接触をした。その結果現地の雰囲気が極めて好意的であり、全ては順調に実施出来る見通しとなった。先発調査隊が同地からお土産として渡された、と持ち帰った「澎湖島の名石」に調刻した私の本名の印鑑なども有難い気持ちで受領した。
 一同は当然本隊派遣の雰囲気になっていた。私達はその実施打ち合わせ会を開く事になった。処がその当日は珍しく豪雨になって、そのためJR総武線が普通となり、私だけが会議に出席出来ず、駅から空しく帰宅せざるを得なかったのであった。
正直申し上げて、私はその帰り道で或る種の戸惑い感を抱いた。数日前に入手した一九九九年七月一六日(金)付けのロイター通信香港紙などには「中国が台湾の離島を占領する可能性」と有り、私はその情報を持参して会議に参加しようとしていたのであった。
私はマスコミなどから割り合いと冒険家扱いされている。というのは何回かの国際的な冒険アタックに何時も成功しているからであろう。然し正直いって、当の私自身は周囲から見れば寧ろ「臆病男」の部類に属するのでは無いだろうか。正確に言えば人一倍「慎重男」である事は自認している。私の考えでは、
「冒険というものは成功されて初めて冒険として評価されるのであって、不成功に終わる冒険へのアタックは無茶と考えるべきではないか」
 というのが私の基本理念であるからである。
 従って、冒険に踏み切る前に「臆病男」と批評されようとどうしようと、そんなことには気にも掛けない性格である。私の欠席のまま、会議では本隊の台湾行きの相談が成立し、その準備に取り掛かった事は明白であった。然し帰宅すると私はすぐはがきを書いた。そして、
「本隊の台湾行きは、あと一〜二ケ月延期して、台湾と中国本土の確執の様子を見守る様に」と指令したのだった。
 この私の意見に全員は大きな不満であった事勿論である。陰では私の「臆病」が囁かれた事も想像できた。
 処が驚いた事に、我々本隊が現地で活躍する予定だった期間中に、あの台湾の第一回目の大地震が起きたのである。然かも我々はその震源地近くへ行く予定だったのであった。地震などには全く関係のない中国本土と台湾の確執を心配しての事ではあったが、私の「臆病」が我々全員の災難を回避した事は事実であった。結果的に会員一同が私に感謝した事は事実である。
 さてその後、その地震が原因の一つかもしれないが、中国本土と台湾との確執問題は下火になって、落ち着きを取り戻した感じであった。それに地震の話も薄れて来たので、十月には台湾行きを決行する事に話がきまった。私もパスポートなど新しいのを入手して出発の準備をしていた。
 処が、一九九九年九月半ばに私は犬に手を噛まれ、破傷風予防の駐車などをした所、却ってアレルギーになり、発熱。私は緊急入院をさせられてしまった。団長が入院しては、一団は又も出発出来なくなり、全員がブーブー。処が何と驚いた事に、その数日後、即ち、予定通りなら我々が台湾へ行っていた期間中に、台湾では第二次大地震。然かも震度は第一次を上回るものであり、現地では又も死傷者続出。
 その事情を連絡したら、台湾から「来なくって本当に良かった」といろいろの話が送られて来たのだった。私が緊急入院したのは災難であったには違いないが、結果的には全員が災難に逢わずに済んだのであった。一同が私のラッキー・ミラクルを話題にするのは当然であった。
 有難いことに、入院によって発見された私の別な病気(その病の全治全快率は40%以下であるというのに)も奇跡的に全快し、お蔭様で現在では相変わらずの超多忙の生活を楽しんでいるという次第です。
 ツイている人は、アンラッキーからは逃れる、の一例ではなかろうか。
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