kitombo.com | 特別寄稿 | 2002年8月19日 
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特別寄稿
「ラッキー・ミラクルの話(3)」

油棚憲一
8月19日

(2) ラッキー・ミラクルの一種かも・・・
 先述のような話が何時も起きる人がいる、言う事は、それを体験する本人にとってもその理由が何であるか不思議に思われてならない。その例を口にしただけで、他人からは「何らかの宗教に凝っているのでは?」などと疑われるのが普通であろう。然し私自身は全くその様な人間ではない。唯言える事は、何宗教などと限定はできないにしても、心の中では何時も「神様、仏様」を意識しており、事有る度に、内心では手を合わせる姿勢である事は確かである。言うなれば、「苦しい時の神頼み」と笑われる種類に属しようか。
 それと言ふのも私の人生の或る種の異常性から来ているのかも知れない。見方によれば「一生催眠術にかかっているんだよ」などと言えるのかも知れない。その事については既に私の著書の一つに書いているので、その一部だけここに抜粋再録させて頂こう(ジェイシーエス出版「元気老」より)。

 私の幼年時代に、母は旧暦三日の夕方になると、いつも私の手を引いて、裏の野に出て西空に細く輝く三日月様に手を合わせ、しばらくお祈りして後、私によく次のように話した。
「お前は五黄の年の寅年の、寅の月の寅の日の、寅の刻に生まれたのだから、お前は誰よりも運が強く、大きくなったら世界中を広く駆け巡って活躍する男になるよ。だから、お前は横文字もうんと勉強しなければならないよ。トラは千里行って千里戻るというんだし、五黄の寅というのは、男にとって最高の星なんだから。
 しかしお母さんは巳年生まれ。巳の人は執念深く、一度こうと覚悟をきめたら、どんな迫害を受けようとも、途中でどんな困難に遇おうとも、決してくじけることなく、歯をくいしばってこれに堪え、最後には必ず目的を達し、事を成功させる性格なんだよ。寅の運勢に巳の守りが加わったら、どんなことでもできないことはないんだよ。そのお母さんが生きている間はもちろん、死んでから後も、お前の一生を通じてお前の後ろからいつも見守っているから、決してそのことを忘れてはいけないよ」
 と。私はそのことを思い出すたび、母親の言葉が有り難く思えていつも目がうるむ。そして私は子供の頃からの習慣として、三日月を見ると必ず手を合わせて自分の現況を反省し、今は月の中にいる母親に報告する癖がつき、それは今でも続いている。
 以上に再録した言葉の中で、「お前は大きくなったら世界中を広く駆け巡って活躍する男になるよ。だから横文字もうんと勉強しなければならないよ」と言われたあの言葉で、私はマインドコントロールされたのかも知れないが、事実は世界一周しただけでもン間までに十回は終わっているし、ロンドンへの訪問だけですでに二十回を越えている自分であってみれば、以上のような論議はともかく、幼年時代に母から聞かされた言葉に、私は大きく動かされたのかも知れないと思っている。
 そして「横文字(外国語)をうんと勉強しなければならいよ」の言葉に対しても、私は今では心から感謝している。その点でもある程度までは到達し得たのも、その母の訓しのお蔭であると思っている・・・。とその著書には続いて述べられている。
その「良い意味でのマインドコントロール」の話には、現実には次のような笑話が続く。
 私の学生時代のあの厳しかった高等商船学校の生活は特別なものであった。夏期の眞白い制服姿などは他の学校などでは見られない程の清潔感を感じさせるものであった。ある時私は教室で上着を脱いだら、同級生から声がかかった。
「お前、腰にぶら下がっているお守り袋は、お母さんに貰ったものだって事は分かっているが、征服を着ている時だけはそれを腰に下げるのをやめろよ」と。
 これを聞いて私は直ちに答えた。
「何言ってるんだ。征服の上着を脱いだから見えただけであって、上着は十分長いのだから上着を着ている時にお守り袋が見える筈は無いんだから、俺は絶対にこれを腰から外さないよ」と。
 同級生達は今でもこの話を思い出すだろうが、このお守り袋というのは、私が小学校へ入学する前に母親が私の腰に下げてくれたもので、私としては何時も肌身離さず持ち続けていたものであった。何年か前、八十歳を過ぎての同級生会の時にもこの話が出た。
そして彼等が、「あのお守り袋は今はどうなっているの?」との質問に私は内ポケットから財布を取り出して、その中に大切に仕舞って持っていたそのお守り袋を皆に見せたので大笑いだった。今年私は米寿の祝をあちらこちらでやって頂いている年輩になったが、私はこの古い布のお守り袋を八十年以上も肌身離さず持ち続けて来ている事は事実である。
「お母さんは死んでから後も、お前の一生を通じてお前の後ろからいつも見守っているから、決してそのことを忘れてはいけないよ」とのあの声が今でも忘れられない僕にとって、「今日一日の私の行動は母親からお叱りを受ける様な事はなかったか」と、何時も反省しつつこのお守り袋に頭をさげている事は事実である。あるいは、これが私のラッキーミラクルの種であるかも・・・。
 ご参考にして頂ければ幸である。
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