kitombo.com | 特別寄稿 | 2002年8月26日 
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新・特別寄稿
「ラッキー・ミラクルの話(4)」

油棚憲一
8月26日

 災難を避けた経験について書いた事から私は思い出した事があったので、ここで昔の日記を開いて見たら出て来ました。細かく書いてあったので、要点だけに絞って記しましょう。
 実はここまで筆を運んだ時点で、又も超多忙の日が続き、数日間が過ぎてしまいましたが、飛行機事故から逃れた話と災害から逃れた話を書くつもりでいた所でした。所が驚いたことに、テレビニュースで「釜山金海空港での中国飛行機の墜落事故」の報道がなされた。シンクロニシティデは?
 それはともかく、私自身は過去長期間にわたって海外旅行を続けて来た男であり、飛行機に乗った回数でもおそらく一般の人との比ではない。要するに人並み以上の経験者である事は確かである。所が、それにも関わらず「笑い話の材料」にされた事がある。
 と言うのは、私がかつて或る研究のため長崎県の鷹島と言う所へ、数年にわたって東京から何回も往復しなければならない事があった。実を言うと私は、余りにも多く飛行機旅行をしているので、せめて日本国内だけでも、のんびりと列車旅行を楽しみたいという潜在願望を持っていた事は事実であった。
 所でその鷹島往復の回数が非常に多くなってしまったが、右の様な理由から何時もJRの寝台特急に乗って、多忙の毎日の休憩を寝台社内での長時間の睡眠で補う事にしていた。「寝台車内などでは眠れない」などと言う人とは異なり、列車の振動は、かえって「揺り篭」と感ずる様な野性的な自分ですから、そこには他人には理解出来ない楽しみさえあったのである。
 実はこんな話に触れると、私の実名がバレてしまうけど、この鷹島での私の研究は結果的には世界的に評価される事になったのであるが、そのため私の身辺には多くのマスコミ連中が何時も一緒におり、皆ともすっかり仲良くなってしまっていた。
 そこで私の寝台車による東京と長崎県の間の毎回の往復は、彼等の笑い話にされてしまった事は確かだ。「先生は飛行気乗りが恐いんですよねえ」と。私は何回も皆に笑われた。然し、私は最後まで自分の方針を変えなかった。所がある時、私が笑われつつも夜行寝台車で東京へ帰った時、九州から羽田へ向かった国内線の飛行機が羽田で墜落した。
 この墜落事故は有名になった一方で、今迄毎回私を笑い話の種にしていた連中が、その後私に対して何と言ったか、報告の必要は無いであろう。この鷹島通いの旅では別な国際的なラッキー・ミラクルの話もある。私の手元にある日記には詳細に日時まで記入されているので、その一部をここに紹介させて頂こう。

  一九八二年七月二十二日(木)小雨。西オーストラリア博物館水中考古学部長ジェレミー・グリーン氏が二十時十五分に大阪に到着するとの連絡で私が迎えに行き、二人で○時三十分大阪発「みずほ」寝台車に乗って博多に向かう。車中全くぐっすり。
  七月二十三日(金)雨。朝九時三十分博多着。九大の岡崎敬先生達の出迎えを受け、午後鷹島へついた時は豪雨・・・

 とある。この時点では、私が取った手段が大変な「災難避け」であった事には全く誰も気付かなかった。
 このジェレミー・グリーン氏は世界的に名を知られている水中考古学の大家である。私は選ばれて「日本の水中考古学の草分け」の仕事を担当する事になったので、私としては常に国際的に動いていた立場もあり、この際躊躇する事なく、世界的に第一人者と評価されている同氏にご指導を仰ごうと連絡した所、快諾を得た事により、この場合だけでも半月ほどの現場指導を受ける事が出来た。
 この関係はその後も長く続き、この研究の成功の後には私自身がオーストラリアに招待されて講演をする等の結果にもつながっている。
さて、ここでの話の要点は私の日記に記載されている。「七月二十四日(土)雨。昨夜の雨は凄ごかったが、どうやら小降りになる。所が驚いた事に、テレビや新聞によれば、長崎市は史上二番目の大洪水の被害とか。現時点での死者五十名以上、行方不明者百名以上とか。二十三日十八時からの一時間の降雨量が百五十三@で史上二番目との事。交通・電話は完全にストップ」と。
 これを知って先ず驚いたのはジェレミー・グリーンその人だった。彼は唖然として私に向かって言った。「何て私はラッキーだったのだろう。貴方には先見の超能力が有るんではないですか。貴方の先見力によって私は助けられ、この災難から身を避ける事が出来たんだ」と。一同も皆、この話で持ち切りになった。
 なぜ?と思うであろうが、実は次の様な経緯があったのだ。彼と私との連絡電報が現在も残されているが、前記の様に彼が私の要請に応じて日本へ初めて来る事になり、私の研究スケジュールに合わせ、オーストラリアから飛行機で来る事になった。そのコースとして国際便で先ず大阪空港にに到着し、そこから陸上路で鷹島へ向かうという連絡だった。正常な方法ではあったが、私は考えた。
 私が東京から鷹島へ行く日を彼の予定に合わせて、先ず大阪で二人で落ち合い、そこから二人で寝台車で博多行き、それから鷹島へ向かう、と言う経路を選んだ。その時点で長崎地方が大洪水になるとか、多くの死傷者が出るなどとは夢にも考えていなかった。ジェレミー・グリーン氏は全て私の提案に従った。その結果が前記の通りだったのである。
 ラッキー・ミラクルの一例とは言えないだろうか。事実アンラッキーを避け得たのだから・・・(了)

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